「北寺塔」・・・市内を見渡すならここに登ろう
寺内の塔が、あまりにも有名だからであろう。日本のガイドブックに「北寺塔」と記されるこの寺の正式名は「報恩寺」という。三国赤烏年間に、呉の孫権が母の邸宅として建立したのが始まりである。その歴史は古く、蘇州で最も長い歴史を持つ。
現存の塔の塔身は瓦造りで、1層~6層までは南宋時代のもので7層から上は明代に作られた。各層の木造の部分は清代のものである。塔は八角形九層で、上は金盤・下は重樓という中国楼閣式の仏塔である。
蘇州駅のすぐ南側に位置し、塔の上からは市内を一望する事ができる。木の細い階段が設置してあり、薄暗い塔内を上っていくことになる。上り下りを、同じ階段を使うことになるので、上る人、下りる人がお互いに目配せしながら道を譲りあう。
最上階の八階は、外に出てぐるっと一回りすることができる。そこから見る町並は格別だ。白い壁に黒い屋根瓦屋をもつ家々は、遥か昔から豊かな自然の恵みに囲まれ、発展してきた江南のいにしえを彷彿とさせる。天気が良ければ郊外に広がる田園風景を楽しむこともできる。
また、この塔の隣には明代に作られた楠木作りの観音殿がある。蘇州市内で唯一、明代に建設されそのままの様子を保っている建築物である。観音堂の南には長廊があり、国内最大の大きさを誇る漆彫刻「姑蘇繁華図」が陳列されている。
「虎丘」・・・アジア版「ピサの斜塔」
虎丘は、既に2000年程の歴史を持つ「呉名第一の名勝」と称されている。宋代の詩人蘇東坡によって「蘇州に到りて虎丘を遊ばずんば憾事なりけり」とうたわれている。春秋戦国時代、ここに呉王の夫差が父親を剣池に葬った。その3日後、白い虎が現われ、墓の上にうずくまっていたと言われるのがその名の由来である。以来人々から「虎丘」と呼ばれるようになった。
ここのみどころは、なんといっても丘にそびえている「虎丘塔」。蘇州一の古さを誇る高さ47m八角七層の塔だが、なんと塔身が北に15度傾いている。400年ほど前から地盤沈下のため傾きだしたという。
門を入ったところに運河が流れ、そこで船に乗る事もできる。おすすめは船頭が舟をこいでくれる「小木船」だ。4人乗りで!"15分ほどの船旅を楽しむ事ができる。代金は20元。
「盤門風景名勝区」・・・蘇州の顔「盤門三景」
「盤門風景名勝区」は、蘇州古城の南西に位置する。最も早い時機に作られた城門と城壁「盤門」と、自転車の通り道を持つ珍しい様相の「呉門橋」、北宋の時代に作られた「瑞光塔」の3つが続く。ガイドブックなどで蘇州を紹介する折にはこの辺りの写真を使う事が多い。つまり、盤門周辺では、人々が思い描く蘇州、そのままの様子を見る事ができる。
現在、ここは名勝公園として新たに開発中である。「瑞光塔」のまわりに、近代的な広々とした公園を作っている。整えられた園内には芝生が広がり、音楽が流れる。近頃増えだした中国の典型的な公園の型であるといえる。
「呉門橋」
「盤門風景名勝区」はここから始まる。橋を越えたところが「盤門」と「瑞光塔」のある公園の入り口になる。1872年清代に造られた。一つの穴を持つアーチ型の橋としては、蘇州市内で最も高さが高く、傾斜もきつい。階段があるものの、この橋を登っていくのは一苦労である。自転車を引っ張っていくためのレールがついている。
この橋は生活に密着しており渡っていく人は意外と多い。橋の前に続く石畳の道からその様子を眺めるのも一興である。
「盤門」
ここは、運河の水の流れと門が昔の姿のまま完全に保存されている貴重な場所である。宋代の「水陸平行、河街隣接」という二重碁盤のような形と「橋・河・家」が密接に結びついている姿がここで堪能できる。
盤門は上に登る事ことできる。現存の物は1351年に再建されたもの。堅固な城壁と運河が組み合わさり、独特の雰囲気を持っている。涼を求める人々の憩いの場となっているようだ。
「瑞光塔」
「瑞光塔」は整備も行き届いた公園の中にある。塔は新しく修理が完了し、再び中に入って見学できるようになった。
言い伝えによると、昔、塔の上からしばしば眩いばかりの光が見えたことから「瑞光塔」と名づけられた。三国時代に呉の孫権によって造られたのが始まりで、以後何度も破壊と再建が繰り返された。現存する塔は、塔身は北宋のものであり、木造の部分は各時代に修復されたものである。八角形七層で、高さは42mの楼閣式になる。
今日見る塔は、朱塗りの柱に、赤褐色の壁、黒い屋根瓦と色のコントラストが美しい。上まで登ることができるが、薄暗く、階段は狭い。大人が1人、やっと通れるぐらいである。所々、天井がとても低くなっており、注意が必要。
*参考文献:
『蘇州園林』 蘇州人民出版社
『蘇州文化精粋集』 古呉軒出版社
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