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蘇州名称巡り

 
      蘇州には、現在、世界文化遺産にも数えられる4大庭園がある。「拙政園」「留園」「獅子林」「滄浪亭」の4つである。どれもが、私家庭園をもとにする。
   蘇州の庭園文化は春秋戦国時代に始まった。宋代に現在のかたちが整い、明代に爛熟期をむかえる。文献によると、清代末には技巧を凝らした庭が何と170もあったという。
 現存する蘇州の庭は10数箇所だ。規模は様々で1haに満たないものから4、5haもの広さを持つ庭まである。造園芸術の粋が凝らされており、一見の価値がある。限られた「庭」というスペースの中に、山水や田園を表現し、田舎の風景を楽しめるよう配置されている。これは都市の生活者が、自然を恋う気持ちから生まれたのだという。
   蘇州の庭は、水を中心にしたものが多く、江南水郷の雅趣が感じられるものが多い。構造は精巧で、見かけは小さくとも、限りなく変化していく景色を思わせる。色彩は自然との調和を考え、白い壁・黒い瓦・鳶色の柱が中心である。
 
  *「拙政園」・・・蘇州一の名園

     江南の古典庭園の代表とも言われる「拙政園」は、中国の4大庭園の一つ。明代の1506年に、御史(役人の弾劾をつかさどる役職)の王献臣が、官職を追われ蘇州に隠居した際造ったものだ。「拙政園」の名前は、「潘岳」の書いた『閑居賦』のなかの「拙者、政するは悠々自適、閑居を楽しむことなり」という部分からとったという。
  その後、庭園の持ち主は次々と代わり、清代の「駐屯将軍府」、太平天国の「忠王府」、李鴻章の「江蘇巡署府」がおかれたりもした。これらの歴史については、続きにある「蘇州博物館」に詳しい。博物館の建物自体が、当時の姿をとどめており、重要な資料となっている。
   庭園全体の様子は、広々として明るい。5haもある内部は、東部・中部・西部の3部分から構成されており、水景が全体の3/5を占める。おすすめは、中部にある「遠香堂」から眺める風景。この建物の中からは、南の峰、北の蓮の花、西の梅がすべて見てとれる。
  「拙政園」は、のんびりと歩くにかぎる。最低一時間は準備したいところだ。技巧の限りを尽くした庭園は、飽きることなく目を楽しませてくれることだろう。

 
  *「留園」・・・建物を取り入れた緊密美の極致*

  「留園」は、「拙政園」と並ぶ蘇州の名園。蘇州四大庭園にも数えられるている。「拙政園」がすっきりとした景色に感動するなら、この「留園」は、建築物の密集と広がりによって作られた緊密な構造に唸る。一般に、この二つは蘇州庭園の「両絶」と称されている。
  敷地面積は2haであり、中部・東部・西部にわかれる。中部は、池を中心に明るく静かだ。池の北側は、石を積み上げてできた築山があり、南側は建物が巧みに配置され築山と池の景色を格別に美しく見せている。東部は持ち主の邸宅部分である。観劇・遊戯・宴会・読書・詩吟・絵画・碁室がある。西部は、木々が茂り渓流が流れる。山林風光の趣に富む。
   庭園はもとより、建物の門・窓・鴨居などに施された精巧な彫刻や、贅を尽くした造りに心を奪われる。

 
  寺院・塔

    蘇州で寺院の建設が始まったのは三国時代からだという。最も早く造られたのは、駅の南にある「北塔報恩寺(北寺塔)」であろう。清代に記された『蘇州府志』によると、当時蘇州市内と呉県には、寺院と道観(道教を祭った場所)が併せて284個所もあったという。$=$N?t$O!"D99>$NFn4_$K$*$$$F!"Fn5~$K  塔は、仏教と共に中国に伝来し、寺院と共に蘇州の美しい景観をつくっている。南北朝時代の南朝から塔が建立されだし、多くの数が林立する様子は「宝塔の街」と称されたほどである。中でも現在「7塔!W$H$5$l$F$$$k$N$O!V?p8wEc!W!VKL;{Ec!W!VAPEc!W!V8W5VEc!W!V>eJ}Ec!W!VNn4dEc!W$G$"$k!#

 
  *「寒山寺」・・・除夜の鐘で有名な古寺*

  「寒山寺」といえば、その鐘の音に思いをはせる人が多い。近年、大晦日の夜に除夜の鐘を聞く会が行われ、多くの日本人が百八つの鐘の音を聞きながら新年を迎えている。
   寒山寺の夜半の鐘の音は昔から有名である。唐代と宋代の蘇州は、夜に鐘を撞く習慣があった。当時寒山寺の鐘の音は素晴らしく、その余韻は夜明けまで続いたと伝えられている。この様子は、詩人張継が船旅の途中詠んだ「楓橋夜泊」に詳しい。「月落ち烏啼いて霜天に満つ、江楓の漁火愁眠に対す、姑蘇城外の寒山寺、夜半の鐘の音客船に到る」この詩は、以前日本の国語の教科書にも掲載されていた。また、山口ヨシ子の『蘇州夜曲』によって寒山寺の鐘を記憶している人も多いことだろう。
   現在の鐘は以前のものではない。夜半に鐘を撞く習慣が薄れていくのと共に鐘も失われてしまった。その後、明代に新たに鋳造されたが、これも日本へ流れてしまい、行方が分らない。今日使われているのは、日本の山田寒山によって送られたものである。一回撞くとその余韻が約2分も続き、多くの詩に読まれた情緒を感じることができる。
 なお、寒山寺を出てすぐのところにアーチ型の橋がある。これが、張継の詩に詠まれた「楓橋」である。

 
  「北寺塔」・・・市内を見渡すならここに登ろう

  寺内の塔が、あまりにも有名だからであろう。日本のガイドブックに「北寺塔」と記されるこの寺の正式名は「報恩寺」という。三国赤烏年間に、呉の孫権が母の邸宅として建立したのが始まりである。その歴史は古く、蘇州で最も長い歴史を持つ。
   現存の塔の塔身は瓦造りで、1層~6層までは南宋時代のもので7層から上は明代に作られた。各層の木造の部分は清代のものである。塔は八角形九層で、上は金盤・下は重樓という中国楼閣式の仏塔である。
   蘇州駅のすぐ南側に位置し、塔の上からは市内を一望する事ができる。木の細い階段が設置してあり、薄暗い塔内を上っていくことになる。上り下りを、同じ階段を使うことになるので、上る人、下りる人がお互いに目配せしながら道を譲りあう。
   最上階の八階は、外に出てぐるっと一回りすることができる。そこから見る町並は格別だ。白い壁に黒い屋根瓦屋をもつ家々は、遥か昔から豊かな自然の恵みに囲まれ、発展してきた江南のいにしえを彷彿とさせる。天気が良ければ郊外に広がる田園風景を楽しむこともできる。
  また、この塔の隣には明代に作られた楠木作りの観音殿がある。蘇州市内で唯一、明代に建設されそのままの様子を保っている建築物である。観音堂の南には長廊があり、国内最大の大きさを誇る漆彫刻「姑蘇繁華図」が陳列されている。


「虎丘」・・・アジア版「ピサの斜塔」

  虎丘は、既に2000年程の歴史を持つ「呉名第一の名勝」と称されている。宋代の詩人蘇東坡によって「蘇州に到りて虎丘を遊ばずんば憾事なりけり」とうたわれている。春秋戦国時代、ここに呉王の夫差が父親を剣池に葬った。その3日後、白い虎が現われ、墓の上にうずくまっていたと言われるのがその名の由来である。以来人々から「虎丘」と呼ばれるようになった。
   ここのみどころは、なんといっても丘にそびえている「虎丘塔」。蘇州一の古さを誇る高さ47m八角七層の塔だが、なんと塔身が北に15度傾いている。400年ほど前から地盤沈下のため傾きだしたという。
   門を入ったところに運河が流れ、そこで船に乗る事もできる。おすすめは船頭が舟をこいでくれる「小木船」だ。4人乗りで!"15分ほどの船旅を楽しむ事ができる。代金は20元。

「盤門風景名勝区」・・・蘇州の顔「盤門三景」

 「盤門風景名勝区」は、蘇州古城の南西に位置する。最も早い時機に作られた城門と城壁「盤門」と、自転車の通り道を持つ珍しい様相の「呉門橋」、北宋の時代に作られた「瑞光塔」の3つが続く。ガイドブックなどで蘇州を紹介する折にはこの辺りの写真を使う事が多い。つまり、盤門周辺では、人々が思い描く蘇州、そのままの様子を見る事ができる。
 現在、ここは名勝公園として新たに開発中である。「瑞光塔」のまわりに、近代的な広々とした公園を作っている。整えられた園内には芝生が広がり、音楽が流れる。近頃増えだした中国の典型的な公園の型であるといえる。


「呉門橋」

 「盤門風景名勝区」はここから始まる。橋を越えたところが「盤門」と「瑞光塔」のある公園の入り口になる。1872年清代に造られた。一つの穴を持つアーチ型の橋としては、蘇州市内で最も高さが高く、傾斜もきつい。階段があるものの、この橋を登っていくのは一苦労である。自転車を引っ張っていくためのレールがついている。
 この橋は生活に密着しており渡っていく人は意外と多い。橋の前に続く石畳の道からその様子を眺めるのも一興である。

「盤門」

 ここは、運河の水の流れと門が昔の姿のまま完全に保存されている貴重な場所である。宋代の「水陸平行、河街隣接」という二重碁盤のような形と「橋・河・家」が密接に結びついている姿がここで堪能できる。
 盤門は上に登る事ことできる。現存の物は1351年に再建されたもの。堅固な城壁と運河が組み合わさり、独特の雰囲気を持っている。涼を求める人々の憩いの場となっているようだ。

「瑞光塔」

 「瑞光塔」は整備も行き届いた公園の中にある。塔は新しく修理が完了し、再び中に入って見学できるようになった。
 言い伝えによると、昔、塔の上からしばしば眩いばかりの光が見えたことから「瑞光塔」と名づけられた。三国時代に呉の孫権によって造られたのが始まりで、以後何度も破壊と再建が繰り返された。現存する塔は、塔身は北宋のものであり、木造の部分は各時代に修復されたものである。八角形七層で、高さは42mの楼閣式になる。
 今日見る塔は、朱塗りの柱に、赤褐色の壁、黒い屋根瓦と色のコントラストが美しい。上まで登ることができるが、薄暗く、階段は狭い。大人が1人、やっと通れるぐらいである。所々、天井がとても低くなっており、注意が必要。


*参考文献:
『蘇州園林』 蘇州人民出版社
『蘇州文化精粋集』 古呉軒出版社

 

 
     
   
     

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