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『喫茶養生記』に見られる道教養生文化の影響

浙江工商大学 江静 呉玲

 

 

本稿では日本初の茶の専門書『喫茶養生記』に注目し、そこに見受けられる道教文化の影響と、それらがもたらされた主な原因について分析を試みる。

まず、日本の茶祖栄西及びその『喫茶養生記』について、簡明に紹介する。次に、『喫茶養生記』と道教文化の関連について、道教の養生思想と五行説の継承という二つの面から述べる。最後に、栄西の茶学著書がどうして道教の影響を受けたかという原因を三つの面から分析する。 

岡倉天心は『茶の湯』の中で茶道を道教の変容したものとしてとらえたが、その後中日両国の学界はこれについて十分な関心を向けてきたとはいえないようである。道教文化と日本の茶道について考えるとき、思想面や作法はもとより、茶器のデザイン等に至るまで深くて密接な関係が見られるのであり、その影響は明らかなのである。本稿では日本初の茶の専門書『喫茶養生記』に注目し、そこに見受けられる道教文化の影響と、それらがもたらされた主な原因について分析を試みる。 

一.栄西と『喫茶養生記』 

 栄西(11411215)、俗姓賀陽、明庵栄西とも、吉備津宮(いまの岡山県岡山市吉備津)のひと。8歳で『倶舎頌』を読み、14歳で出家、栄西を名乗る。19歳で比叡山にのぼり天台宗の顕密両教を学ぶ。仁安三年(1168)4月入宋、浙江天台山、阿育王山に参って新章疏三十部六十余巻を携えて9月に帰国。47歳(1187)で再度入宋し、禅宗を極めた後に印度の釈迦八塔参拝を願ったが、当時南宋は蒙古の侵入を防ぐために国境を閉鎖しておりこれはかなわなかった。そこで栄西は天台山万年寺に虚庵懐敞禅師を訪ねて師事し、その後師に従って天童山景徳禅寺に移って修禅し、ついに臨済宗53代の継承者となった。宋の紹熙二年(1191)秋に帰国、帰国後は日本各地に禅寺を建てて禅宗の興隆に努め、『護禅興国論』を撰して日本臨済禅の始祖となった。健保三年(1215)寿福寺にて円寂。

 飲茶が一般的な習俗として普及し、茶文化が盛んになっていた宋国では、寺社における生活でも茶はなくてはならないものであった。栄西は二度にわたる入宋経験を通じて茶の効能を身をもって知り、その有用性を悉知したのであろう。二度目に帰国した際、彼は茶の苗木と種、それに茶器を携え、筑前の背振山(いまの佐賀県神崎郡)と博多の聖福寺にこれを植えた。また、栂尾高山寺の明恵上人(11731232)に種を送ってその効能を伝え、これが契機となって栂尾を中心に植茶が広まり、やがて宇治、伊勢、駿河、川越へと拡大していくのである。

 日本でもっとも古い武家の史書『吾妻鏡』によれば、建保二年(1214)二月四日、幕府将軍源実朝(11921219)が酒による病となり、名だたる医者を呼んで診せたが回復しなかった。栄西これを聞き、酒毒を解く良薬だと言って一服の茶をすすめ、「茶徳を誉める書」を献上したという。実朝がこれを飲むと身体が軽く爽快になり、栄西が献じた書もたいへんに価値あるものと判じられた。ここに茶の良薬としての効能が世の人に知られることとなり、飲茶の習慣が上流階級に普及する契機となった。

 ここで「茶徳を誉める書」とされたのが、『喫茶養生記』である。日本最初の茶の専門書であり、永く日本茶道の経典とされ、栄西を日本の「茶祖」とした書ということができよう。

 上下二巻に分かれており、上巻を『五臓合門』、下巻を『遣除鬼魅門』と呼ぶ。栄西は『五臓合門』で五臓の調和が身体健康を保証し、それは酸、甜、苦、辣、咸の五味の均衡によりもたらされると説いた。ただし、心臓が必要とする苦味は日常の飲食からは摂取困難で、これを解決するのが多量の飲茶であるとした。続いて栄西は、真言五部が五臓の病を加持治療する方法について述べた上で飲茶を強くすすめ、中国文献を引いて茶の名称の変遷や茶木・茶葉の形状を説明し、さらに効能と採集について述べている。自身が宋での生活で見知った茶の焙煎や保存の方法にも触れている。『遣除鬼魅門』では現世が仏教でいう末世にあたることを説き、魑魅が横行して国土は乱れ人心は荒れて、それがさまざまな疾病を呼びこむことを警告した。そして五種の末世の病を列挙して、それぞれの症状と治療法について述べている。それら諸病には桑の木と茶木を用いた医療が有効であるとして、特に宋での茶の飲用法を紹介しているが、それこそが日本の茶道が永年親しんできた抹茶による手前なのである。

 『喫茶養生記』には初治本と再治本のふたつのテキストが現存する。初治本には承元五年(1211)の序があり、再治本には建保二年(1214)の序が付されており、これら二版には相違点も多い。初治本には鎌倉寿福寺写本(鎌倉末期か南北朝初期の抄本)と香川県志度町多和文庫の抄本(江戸初期)がある。再治本については以下の通りである。(1)史料編纂所本。永仁五年(1297)の写本を影写するもの。『大日本仏教全書』と昭和期に刊行された『群書類従』はこれを底本としている。(2)建仁寺両足院蔵本。江戸時代初期(1694)の刻本。(3)群書類従本。江戸期に刊行された『群書類従』巻三百六十五『飲食部』に収録。白蓮社空阿蔵本を底本に影写したもの。明治期に経済雑誌社より活字印本が出されている。(4)銭屋惣四郎本。江戸期京都の著名な書肆銭屋惣四郎によって刊行された板本。編者や刊行の時期については不詳。記載内容に前述した各版本との相違も多い。

 本稿では1977年淡交社刊『茶道古典全集』に収録された初治本について見ていきたい。 

二.『喫茶養生記』と道教文化 

栄西が僧侶であったためか、あるいは茶道と禅宗が密接に関係していたためか、『大日本仏教全書』に収録された『喫茶養生記』に道教との関連を見て取った人は少ないようである。ただし永仁五年の写本奥書に見える「房内法、抱朴子」等の注記は、当時すでに道教との関係を意識していた人がいたことをうかがわせる。事実『喫茶養生記』を仔細に見ていくと、その行間の処々に、道教文化的な英知のきらめきが見られるのである。 

1.道教の養生思想

生と死に関する命題とは、あらゆる宗教が答えを迫られる根源的なものであろう。キリスト教がむしろ生存を悪として死を恋したように、イスラム教では今生での生活を刹那的なものとして捉えて後生こそが至上の生活が永久に続く人類の最後に帰るべき場所であるとし、仏教は現世を苦海とみなして彼岸を永遠の幸福世界とした。つまり世界の三大宗教が霊魂の解脱による来世での幸福を説いて信徒たちを導いたのに対して、道教は生きることこそが人の幸せであるとして、「最善なる者は常に楽生を欲する」(『霊宝畢潔』、陳致虚『元始無量度人上品妙経注解巻下』より引く)と現世こそが楽土であると考えた。つまり道教とは、あらゆる宗教の中でもっとも現世の生命存在を重視する宗教なのである。

このような生死観に導かれて、道教はとこしえの生命を信奉する精神を培い、生命存在へのこだわりを根底に置いた宗教哲学を作り上げた。いわゆる「人命最重」、「我が命は天にではなく我に在り」といった精神がそこにはある。可能な限り生命を維持して延年益寿を実現し、その後は仙人となって天に上る(羽化登仙)。これが道門において人々が目指す最終目的なのである。養生とはこれを果たすための重要な手段であり、養生思想は道教思想の主要な部位を占めることになった訳である。

このような「生」の追求が養生への強い関心となって『喫茶養生記』にもそれが明瞭に現れているのである。第一に『喫茶養生記』という書名がそれを体現している訳だが、栄西は序文の書き出しにもこのように記している。「茶とは末代に至る養生の仙薬なり、人倫延齢の妙術なり」。これは道教のいう養生延年思想に他ならない。さらに栄西は続ける。「伏惟天は万象を造り、人を造りて貴となす。人一期を保ち、守命をもって賢となす。その一期を保つの源、養生にあり」。この「人を造りて貴となす」という思想こそ、道教が宣揚する「天地之性、万二千物、人名最重」(『太平経』)、「一切万物、人最為貴」(『妙心経』、『天上秘要』巻五より引く)といった観点を指すものではなかろうか。「守命をもって賢となす」とは道教の「重生」思想の現れではなかろうか。「その一期を保つの源、養生にあり」とは、栄西の養生に対する考え方を示すものではなかろうか。

道教が説く養生の手段はさまざまあるが、仙薬の服用はその重要なもののひとつである。服せば老いが童に戻り永らえて仙人となる薬が仙薬である。『抱朴子内篇』第十一『仙薬巻』に神奇作用をもたらす薬の数々が紹介されている。栄西はこれを引いて茶を「養生の仙薬」とし、「桑木もまた仙薬なり」、「服す者は仙者にして、種々の薬を服して久しく命を保つ」とした。また、桑木を服す方法を「仙術」とし、茶を服することを「妙術」と呼んでおり、ここにも道教の影響が明らかである。周知の通り道教は「術」を重んじる宗教であり、「寓道於術」「道無術不行」はいずれも道教の説法である。

道教が重視する医療術として予防があげられるが、これは医薬と人の飲食起居を結合させて捉える考え方である。『老子』に「それただ病に苦しむ、これ病にあらず」、『抱朴子内篇・地真』には「これ人は患の起きる前に消し、病に疾する前に治す。医とはこれ事無き前、すでに逝した後に迫らず」とあるが、栄西は『喫茶養生記』で「自国も他国も菜を調える味は同じく、苦味を欠いている。しかし大国では茶を飲み、わが国では飲まない。大国の人は心臓を病まず、長患いもなく長命である。わが国の人は心臓に病あり、長患いをする。これこそ茶を飲まぬせいである」、「茶を飲めば心臓を治し、病を遠ざける」と茶の持つ苦味が心臓病を予防し、長命と健康を促進することを説いており、そこには「消未起之患、治未病之疾」と同じ理念が見て取れるのである。

道教が説く養生の究極の目的は「羽化登仙」である。仙人やそれに成るためのプロセスについては『抱朴子・論仙』に「薬を以って養生し、術を以って延命し、内疾を生ぜず外患を入れず、久しく不死を視すれど旧身を改めず、すなわちそこに道あり、無を以って難となす」とあり、医薬養生を持って仙を求め、仙を求めることによって永生を手に入れることを述べている。道教は仙人に長生と逍遥自在というふたつの価値を付与している。『喫茶養生記』は茶の効能を説く際に『壷居士食忌』の「茶久服羽化」を引き、『陶弘景新録』の「喫茶、軽身換骨苦」を引き、『天台山記』の「茶久服、生羽翼、是身軽而可飛」を引いている。そして栄西は、「桑木も仙薬なり。仙人にふたつあり、ひとつは苦行仙でひとつは服薬仙。苦行仙は食味を断ち、米粟を食べて久しく命を活かす。服薬仙は薬を服し、久しく命を保つ。中でも桑木仙は永く保つことができる」と述べている。ここに服薬と飲茶によって健康長寿が保たれ、「羽化登仙」することができるという栄西の認識を読み取ることができるのである。 

2.五行説の継承

 陰陽五行説は道教全般の摂理に関わる重要な思想であるが、『喫茶養生記』上巻『五臓合門』が引用する『尊勝陀羅尼破地獄儀軌秘抄』にもその記載が見られる。「一、肝臓は酸味を好み、二、肺臓は辛味を好み、三、心臓は苦味を好み、四、脾臓は甘味を好み、五、腎臓は咸味を好む」。「五臓は五行に当る。木、火、土、金、水なり。また五方に当る。東、南、西、北、中なり。肝は東なり、春なり、木なり、青なり、魂なり、服なり。肺は西なり、秋なり、金なり、白なり、魄なり、鼻なり。心は南なり、夏なり、火なり、赤なり、神なり、舌なり。脾は中なり、四季の終りなり、土なり、黄なり、志なり、口なり。腎は北なり、冬なり、水なり、黒なり、想なり、骨髄なり、耳なり」。そして苦味の不足が心臓の機能低下を招き、健康の妨げになることを説いている。

ここで『喫茶養生記』は道教の「先明臓腑、次説修行」(『黄庭内景五臓六腑補寫図』)という煉養思想を説き、五臓と五味、五行、五方、五季、五色、五神、五官との対応について挙げている。 

五味

五行

五方

五季

五色

五神

五官

西

四季終

 このような五臓とその他の人体器官、精神感情や自然界の物質形態との相対関係は秦漢時代に完成された『黄帝内経』によるものである。また、『黄帝内経』が更に説く五行相生相克の原理は、五臓相互の依存関係と相互制約、身体の平衡を維持する相互関係について説明する。たとえば『素問・陰陽応象大論』では「東方生風、風生木、木生酸、酸生肝。南方生熱、熱生火、火生苦、苦生心。西方生燥、燥生金、金生辛、辛生肺。中央生湿、湿生土、土生甘、甘生脾。北方生寒、寒生水、水生咸、咸生腎」とある。五臓と五神の関係については、『素問・宣明五気篇』に「心臓神、肺臓魄、肝臓魂、脾臓意、腎臓志、これがいわゆる五臓の蔵するものなり」とある。

 『黄帝内経』の考え方は後の道教経典に完全に引き継がれて発揚された。『喫茶養生記』が説く五臓と五神の密接な関係も道教の「天人合一」「天人感応」思想に拠るものであり、人体はひとつの小宇宙であり、それは大宇宙の縮小であるという認識に立つものである。天上には上帝と陰陽五行の神が在り、人体もまた「心君」と五臓五行の諸神を宿す。天神と人体内の諸神は陰陽五行の属性によって相互に相通じている。『老子道徳経河上公章句・成象章第六』に「人は神を養い不死となれる、神は五臓の神なり。肝は魂を蔵し、肺は魄を蔵し、心は神を蔵し、脾は意を蔵し、腎は精と志を蔵す。五神去れば五臓尽きる」とあり、『太上老君内観経』に「五臓五神を蔵す。魂肝に在り、魄肺に在り、精腎に在り、志脾に在り、神心に在り」とある。張伯端『金丹四百字序』は内丹の修練が高次に至り、真気陽神が五臓に顕在する、いわゆる「五気朝元」の情態を「目で見るまでもなく魂は肝に在り、耳で聞くまでもなく精は腎に在り、舌で声にするまでもなく神は心に在り、鼻で香るまでもなく魄は肺に在り、四肢を動かすまでもなく意は脾に在る。故に五気朝元という」としている。道教はまた、「心」を精神の根本あるいは身体の触媒として捉え、「心」が神識活動において突出した作用を果たしていると考えた。そのため道門において人はしばしば「心」と「神」をつなげて「心神」と呼ぶのである。『霊枢・邪客』に「心とは五臓六腑の主なり、精神の宿るところにして、その臓は堅固なり。邪は容れられることなく、容れればこれ傷心なり。心傷つけば神去る、神去れば死す」とあり、『太上老君説了心経』に「心神を主とし、動静心に従う」とある。『谷神賦』に「養神心に在れば我死なず」とあり、『太平経』に「五臓、心は南方に在り君となす」(『太平経合校』巻六十九)とある。

栄西は『喫茶養生記』で心臓の際立った働きと五臓の相互作用、五臓と五官・五味の連動について、これら道教の考え方に沿って述べている。上巻『五臓合門』はこう記す。「五臓は好む味が異なり、一臓の好むところ多く入ればその臓は強まりて傍らの臓を克し、互いに病す」、「心臓に病有すると皮肉色悪く命運減じると知るべし」、「もし人五臓不調で心神不快なれば、茶を喫すべし。心臓を調え万病を除く。心臓快なれば諸臓病有すも痛み強からず」、「心臓は五臓の君子なり、茶は味の上首なり、苦味は諸味の上首なり。故に心臓を慈しみこの味を愛でればこの味を以ってこの臓が建ち、諸臓安んじる。目に病有せば肝臓損なうを知るべし。酸性薬を以ってこれを治すべし。耳に病有せば腎臓損なうを知るべし。咸性薬を以ってこれを治すべし。鼻に病有せば肺臓損なうを知るべし。辛性薬を以ってこれを治すべし。舌に病有せば心臓損なうを知るべし。苦性薬を以ってこれを治すべし。口に病有せば脾臓損なうを知るべし。甘性薬を以ってこれを治すべし。心身弱まる者あればこれも心臓損なうを知るべし。よく茶を喫せば気力強盛す」。 

三.『喫茶養生記』が道教の影響を受けた原因 

僧侶である栄西が著した茶に関する書が道教の影響を受けたのはいかなる理由によるものか。そこには3つの原因が考えられる。 

1.仏教と道教の密接な関係

 仏教は漢代に中国に伝えられて以降、長期間にわたって神仙道教的な方術に寄りかかりながら広まった。仏教活動は訳経を主として始められたが、当時の仏典翻訳者たちは、人々に理解され受け入れられ易くするために、しばしば訳文に中国固有の儒教や道教の思想や概念を取り入れた。中国伝統の思想文化との迎合を図ったのである。三国両晋時代に至ると仏教は次第に興隆し、道教との矛盾点が顕在化してきた。南北朝時代には仏道間の論争が激化し、隋唐王朝成立後は儒・道・仏が鼎立する状況に至った。しかしその後、三教は理論の上では融合する方向に向かうのである。栄西が足跡を残した宋代は、ちょうどそのような情況が勢いを加えた時期にあたるのであり、仏道の融合が日進し、僧籍の中にも「好道」、「重道」を標榜する者が次々と現れ、民間では仏寺と道観で関帝と観音を同じく祭るような情勢であった。

要するに仏教は自身に欠けていた生きる術を道教の養生や長生の術で補い、道教は仏教の影響下で理論体系の充実を図り、道教戒律を構築したのである。 

2.中国伝統医術と道教医術の極めて深遠な関係

病を治し人を救うことは、仏教が体現する救世思想の手段のひとつである。中日両国で医術に精通した僧が多く現れたことはここに由来している。『喫茶養生記』に明らかな通り、栄西もそのような僧のひとりであった。日本の伝統医術は中国の影響を多分に受けており、中国医術は道教と分かちがたい縁を結んでいるのであり、いわゆる「医道同源」や「十道九医」にこれは見て取れる。道教医学は中国医薬学の理論的な基礎であり、中国医薬学は道教医学の核心をなすものである。中国古代の多くの医学名家は道教思想家でもあったことは、さまざまな史料に明らかである。東晋の著名な道士であった葛洪は医薬学に通じており、道士は医術を修めるべきであると主張して、『肘後準急方』、『肘後救卒方』、『金櫃薬方』、『玉函方』等の医書を撰している。彼は『抱朴子内篇・仙薬』で多くの薬用植物の特性と効能について詳細な記述を残しており、後世の医薬学の発展に大きく貢献した。道教茅山派の創始者である陶弘景(456536)も医術に精通しており、『本草集注』、『陶隠居本草』、『薬総訣』等の著書を残している。彼の『養性延命録』は中国に現存するもっとも早い時期の養生経典である。隋朝の太医侍御楊上善も道教を信奉していた。彼は『黄帝内経』を注釈して『黄帝内経太素』を著し、これは現在に至るまで中国医学の優れた経典とされている。「啓玄子」という道号を持つ名医王氷も道教信徒であり、著作『注黄帝内経素問』は中国医学の名高い名著とされている。後に「薬王」の尊称を与えられた孫思�$(Dah581682)は唐代の著名な医薬学者であったばかりでなく、宋の徽宗によって「妙応真人」と追封された道士であった。まだまだ同様の事例は数多く見られるのであり、歴代の道教医学者たちの足跡は、そのまま中国医学発展の道程に重なるものと言えるのである。 

3.茶に付加された仙薬としての性格

 良い茶は高山に育つため入手が難しく、さまざまな疾病に効能があり、生産から飲用までの工程は金丹製造の工程に似ている。これらのことが茶と仙薬に自然の因縁をもたらした。さらに陸羽の『茶経』によって、茶はより神秘化、仙薬化されたのである。茶はこうして仙薬としての性格を付与され、そのため飲茶は神仙道教思想の影響を受けて一種の仙人的要素を持つに至った。五代期の毛文錫が著した『茶譜』は四川の蒙頂茶を飲めば老いが童に返るとし、「眉が緑色を発する」、「これ即ち地仙なり」という。

 日本の研究者によれば、栄西が上巻『五臓合門』で引用した文献は、基本的に『太平御覧』の「茗」部条より引かれており、そこには多くの『茶経』の記述が載せられている。

 『喫茶養生記』に引用された以外にも、茶と仙人に関する説話が多く残されている。『神異記』、『広陵耆老伝』、『異苑』等にそれは見られ、それらの記載は茶の持つ仙薬としての性格を如実に物語っている。これらの記述を目にした栄西がその影響を受けなかったはずはなく、自ずと『喫茶養生記』の記述にも反映されたのである。

王勇編『日本文化に見る道教的要素』(「アジア遊学」第73号)所収 

参考文献:

1、森鹿三「『喫茶養生記』補注」、「『喫茶養生記』解題」(千宗室編『茶道古典全集』第二巻、淡交社、一九七七年)

2、東君茶與仙藥—--論茶之從飲料至精神文化的演變過程」(『農業考古』、一九九五

3、景紅陰陽五行思想與黃帝內經』」(『周易研究』、二〇〇〇

4、洪修平儒佛道三教關係與中國佛教的發展」(『南京大學學報(哲學·人文科學·社會科學)』、二〇〇〇

5、�え紬�石窗道教文化十五講

 

 

 
 

  

 
     
 

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