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「本土復帰50年」 沖縄と歩んだ戦後の皇室

「回归本土50周年」冲绳和一路走来的皇室

 

2022年5月15日    

 

5月に本土復帰から50年を迎える沖縄。
5月15日冲绳迎来了回归本土50周年

太平洋戦争中、激しい地上戦で20万人以上が犠牲になり、戦後もアメリカの統治下におかれ、苦難の道を歩みました。
在太平洋战争中,20多万人死于激烈的地面战争,战后在美国的统治下,冲绳走过了一段苦难历程。

戦後、皇室に対して複雑な感情が残っていた沖縄と皇室の歴史を見つめます。
聚焦战后,对日本皇室持着复杂情感的冲绳和皇室历史(社会部記者 橋本佳名美)。

 

念願の沖縄訪問 かなわなかった昭和天皇
一直期望访问冲绳,但是终究不能如愿的昭和天皇


50年前、政府が東京で開催した沖縄の本土復帰記念式典には、昭和天皇の姿がありました。
50年前,昭和天皇显身政府在东京举办的冲绳回归本土的纪念典礼上。

復帰式典の昭和天皇 1972年5月15日
1972年5月15日 回归庆典上的昭和天皇

 

昭和天皇は、太平洋戦争で多くの人が犠牲になった沖縄を訪問することを強く望んでいました。
昭和天皇非常期望能访问冲绳,因为太平洋战争期间,好多人在冲绳战死了。

そして、本土復帰から15年がたった昭和62年、秋の国民体育大会にあわせて、昭和天皇が沖縄を訪問することが決まりました。
而且,在回归本土的第15年,也就是昭和62年,正值秋季国民体育大会举办,昭和天皇决定访问冲绳。

その年の誕生日の記者会見では、「念願の沖縄訪問が実現することになりましたならば、戦没者の霊を慰め、長年県民が味わってきた苦労をねぎらいたいと思っています」と述べていました。
在那一年的生日记者会上,昭和天皇又讲到:“如果能够实现访问冲绳的夙愿,我想吊唁一下战死者的亡灵,慰问一下长年饱受艰辛的当地民众。”

しかし、訪問の前に、昭和天皇は体調を崩し、訪問はかないませんでした。
但是,在出访之前,昭和天皇因身体不适,没能实现这次访问。

 

復帰後、皇室初の訪問に“火炎びん”
回归后,皇室初访冲绳就遭遇到“燃烧瓶”


戦後、昭和天皇の訪問がなかなか実現しなかった背景には、過激派によるテロなどへの懸念があったとみられます。
战后,昭和天皇终没实现访问冲绳的背后原因一直是被认为有可能存在过激派制造的恐怖袭击。

本土復帰後初めてとなった皇室の訪問で、火炎びんが投げつけられる事件が起きていたからです。
因为回归本土之初,皇室在访问期间,发生了投掷燃烧瓶事件。

それは、復帰から3年後の昭和50年7月、当時皇太子夫妻として訪問された上皇ご夫妻に向けられました。
那是回归后的第三年,也就是昭和50年7月,当时还是作为皇太子夫妻出访的太上皇遭遇到了这次袭击。

 

1975年7月17日

沖縄戦最後の激戦地、糸満市にある女学生たちの慰霊碑「ひめゆりの塔」に向かわれた上皇ご夫妻。
在冲绳会战最为激烈的丝满市里有纪念女子学生慰灵碑----[细百合塔]。在那儿太上皇夫妻进行了祭拜。

花束を供え、黙とうをささげられたあとのことです。
这是献花,默哀之后的场景。

地下壕に潜んでいた過激派の青年らに火炎びんを投げつけられたのです。
潜伏在地下壕沟里的激进青年投掷了燃烧瓶。

 

 

青年らが潜んでいた地下壕(今月撮影)
青年们潜伏的地下壕沟

 

それでも、ご夫妻は、予定を変えることなく、いくつもの慰霊碑を回り、たっての願いだった沖縄戦の遺族との面会も果たされました。
尽管如此,太上皇夫妻还是一如既往地祭拜了好几处[慰灵碑],并且和冲绳战役阵亡遗族进行了会面,听取了他们的各种诉求。

事件後 遺族と面会

 

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