阿Q正传(中日文对照)

鲁迅先生创作的一部中篇小说

阿Q正伝

魯迅

井上紅梅訳

第一章 序

 わたしは阿Q(あキュー)の正伝を作ろうとしたのは一年や二年のことではなかった。けれども作ろうとしながらまた考えなおした。これを見てもわたしは立言[りつ-げん]の人でないことが分る。従来[じゅう-らい]不朽[ふ-きゅう]の筆は不朽の人を伝えるもので、人は文に依って伝えらる。つまり誰某(たれそれ)は誰某に靠(よ)って伝えられるのであるから、次第にハッキリしなくなってくる。そうして阿Qを伝えることになると、思想の上に何か幽霊のようなものがあって結末[けつ-まつ]があやふや[不確かではっきりしないさま/どっちつかずであるさ/曖昧(アイマイ)]になる。
 それはそうとこの一篇の朽ち[く・ちる]易い文章を作るために、わたしは筆を下すが早いか、いろいろの困難を感じた。第一は文章の名目[みょう‐もく/めいもく]であった。孔子様の被仰(おっしゃ)るには「名前が正しくないと話が脱線する」と。これは本来極めて注意すべきことで、伝記の名前は列伝、自伝、内伝、外伝、別伝、家伝、小伝などとずいぶん蒼蝿(うるさ)いほどたくさんあるが、惜しいかな皆合わない。
 列伝としてみたらどうだろう。この一篇はいろんな偉い人と共に正史の中に排列すべきものではない。自伝とすればどうだろう。わたしは決して阿Qその物でない。外伝とすれば、内伝が無し、また内伝とすれば阿Qは決して神仙ではない。しからば別伝としたらどうだろう。阿Qは大総統の上諭に依って国史館に宣付(せんぷ)して本伝を立てたことがまだ一度もない。――英国の正史にも博徒列伝というものは決して無いが、文豪ヂッケンスは博徒別伝という本を出した。しかしこれは文豪のやることでわれわれのやることではない。そのほか家伝という言葉もあるが、わたしは阿Qと同じ流れを汲んでいるか、どうかしらん。彼の子孫にお辞儀されたこともない。小伝とすればあるいはいいかもしれないが、阿Qは別に大伝(たいでん)というものがない。煎じ詰めるとこの一篇は本伝というべきものだが、わたしの文章の著想(ちゃくそう)からいうと文体が下卑ていて「車を引いて漿(のり)を売る人達」が使う言葉を用いているから、そんな僭越な名目はつかえない。そこで三教九流の数に入(い)らない小説家のいわゆる「閑話休題、言帰正伝」という紋切型の中から「正伝」という二字を取出して名目とした。すなわち古人が撰した書法正伝のそれに、文字(もんじ)の上から見るとはなはだ紛らしいが、もうどうでもいい。
 第二、伝記を書くには通例、しょっぱなに「何某、あざなは何、どこそこの人也」とするのが当りまえだが、わたしは阿Qの姓が何というか少しも知らない。一度彼は趙(ちょう)と名乗っていたようであったが、それも二日目にはあいまいになった。
 それは趙太爺(だんな)の息子が秀才になった時の事であった。阿Qはちょうど二碗の黄酒(うわんちゅ)を飲み干して足踏み手振りして言った。これで彼も非常な面目を施した、というのは彼と趙太爺はもともと一家の分れで、こまかく穿鑿(せんさく)すると、彼は秀才よりも目上だと語った。この時そばに聴いていた人達は粛然としていささか敬意を払った。ところが二日目には村役人が阿Qを喚(よ)びに来て趙家に連れて行った。趙太爺は彼を一目見ると顔じゅう真赤(まっか)にして怒鳴った[どな・る]。
「阿Q! キサマは何とぬかした。お前が乃公(おれ)の御本家[ほん‐け]か。たわけめ」

 阿Qは黙っていた。
 趙太爺は見れば見るほど癪に障って二三歩前に押し出し「出鱈目(でたらめ:荒唐/胡闹/胡说八道)もいい加減にしろ。お前のような奴が一家にあるわけがない。お前の姓は趙というのか」
 阿Qは黙って身を後ろに引こうとした時、趙太爺は早くも飛びかかって、ぴしゃりと一つ呉(く)れた。
「お前は、どうして趙という姓がわかった。どこからその姓を分けた」
 阿Qは彼が趙姓である確証を弁解もせずに、ただ手を以て左の頬を撫でながら村役人と一緒に退出した。外へ出るとまた村役人から一通りお小言をきいて、二百文の酒手を出して村役人にお詫びをした。この話を聴いた者は皆言った。阿Qは実に出鱈目な奴だ。自分で擲(なぐ)られるようなことを仕出かしたんだ。彼は趙だか何だか知れたもんじゃない。よし本当に趙であっても、趙太爺がここにいる以上は、そんなたわごとを言ってはけしからん。それからというものは彼の名氏(みょうじ)を持ち出す者が無くなって、阿Qは遂に何姓であるか、突きとめることが出来なかった。
 第三、わたしはまた、阿Qの名前をどう書いていいか知らない。彼が生きている間は、人は皆阿 Quei と呼んだ。死んだあとではもう誰一人阿 Quei の噂をする者がないので、どうして「これを竹帛(ちくはく)に著す」ことが出来よう。「これ竹帛に著す」ことから言えば、この一篇の文章が皮切であるから、まず、第一の難関にぶつかるのである。わたしはつくづく考えてみると、阿 Quei は、阿桂(あくい)あるいは阿貴(あくい)かもしれない。もし彼に月亭(げってい)という号があってあるいは生れた月日が八月の中頃であったなら、それこそ阿桂に違いない。しかし彼には号がない。――号があったかもしれないが、それを知っている人は無い。――そうして生年月日を書いた手帖などどこにも残っていないのだから、阿桂ときめてしまうのはあんまり乱暴だ。
 もしまた彼に一人の兄弟があって阿富(あふ)と名乗っていたら、それこそきっと阿貴に違いない。しかし彼は全くの独り者であってみると、阿貴とすべき左証がない。その他 Quei と発音する文字(もんじ)は皆変槓(へんてこ)な意味が含まれいっそう嵌(はま)りが悪い。以前わたしは趙太爺の倅(せがれ)の茂才(もさい)先生に訊いてみたが、あれほど物に詳しい人でも遂に返答が出来なかった。しかし結論から言えば、陳獨秀(ちんどくしゅう)が雑誌「新青年」を発行して羅馬(ローマ)字を提唱したので国粋が亡(ほろ)びて考えようが無くなったんだ。そこでわたしの最後の手段はある同郷生に頼んで、阿Q事件の判決文を調べてもらうより外(ほか)はなかった。そうして一個月たってようやく返辞(へんじ)が来たのを見ると、判決文の中に阿 Quei の音に近い者は決して無いという事だった。わたし自身としては本当にそれが無いということは言えないが、もうこの上は調べようがない。そこで、注音字母(ちゅうおんじぼ)では一般に解るまいと思って拠所(よんどころ)なく洋字を用い、英国流行の方法で彼を阿 Quei と書(しょ)し、更に省略して阿Qとした。これは近頃「新青年」に盲従したことで我ながら遺憾に思うが、しかし茂才先生でさえ知らないものを、わたしどもに何のいい智慧が出よう?
 第四は阿Qの原籍だ。もし彼が趙姓であったなら、現在よく用いらるる郡望(まつり)の旧例に拠(よ)り、郡名百家姓(ぐんめいひゃっかせい)に書いてある注解通りにすればいい。「隴西天水(ろうせいてんすい)の人也」といえば済む。しかし惜しいかな、その姓がはなはだ信用が出来ないので、したがって原籍も決定することが出来ない。彼は未荘(みそう)に住んだことが多いがときどき他処(たしょ)へ住むこともある。もしこれを「未荘の人也」といえばやはり史伝の法則に乖(そむ)く。
 わたしが幾分自分で慰められることは、たった一つの阿の字が非常に正確であった。こればかりはこじつけやかこつけではない。誰が見てもかなり正しいものである。その他のことになると学問の低いわたしには何もかも突き止めることが出来ない。ただ一つの希望は「歴史癖と考証好(ずき)」で有名な胡適之(こてきし)先生の門人等(ら)が、ひょっとすると将来幾多の新端緒(たんしょ)を尋ね出すかもしれない。しかしその時にはもう阿Q正伝は消滅しているかもしれない。

第二章 優勝記略

 阿Qは姓名も原籍も少々あいまいであった。のみならず彼の前半生の「行状」もまたあいまいであった。それというのも未荘の人達はただ阿Qをコキ使い、ただ彼をおもちゃにして、もとより彼の「行状」などに興味を持つ者がない。そして阿Q自身も身の上話などしたことはない。ときたま人と喧嘩をした時、何かのはずみに目を瞠(みは)って
「乃公達だって以前は――てめえよりゃよッぽど豪勢なもんだぞ。人をなんだと思っていやがるんだえ」というくらいが勢一杯(せいいっぱい)だ。
 阿Qは家が無い。未荘の土穀祠(おいなりさま)の中に住んでいて一定の職業もないが、人に頼まれると日傭取(ひようとり)になって、麦をひけと言われれば麦をひき、米を搗(つ)けと言われれば米を搗き、船を漕げと言われれば船を漕ぐ。仕事が余る時には、臨時に主人の家に寝泊りして、済んでしまえばすぐに出て行(ゆ)く。だから人は忙(せわ)しない時には阿Qを想い出すが、それも仕事のことであって「行状」のことでは決して無い。いったん暇になれば阿Qも糸瓜(へちま)もないのだから、彼の行状のことなどなおさら言い出す者がない。しかし一度こんなことがあった。あるお爺さんが阿Qをもちゃげて「お前は何をさせてもソツが無いね」と言った。この時、阿Qは臂(ひじ)を丸出しにして(支那チョッキをじかに一枚著ている)無性(ぶしょう)臭い見すぼらしい風体で、お爺さんの前に立っていた。はたの者はこの話を本気にせず、やっぱりひやかしだと思っていたが、阿Qは大層喜んだ。
 阿Qはまた大層己惚(うぬぼ)れが強く、未荘の人などはてんで彼の眼中にない。ひどいことには二人の「文童(ぶんどう)」に対しても、一笑の価値さえ認めていなかった。そもそも「文童」なる者は、将来秀才となる可能性があるもので、趙太爺や錢太爺(せんだんな)が居民の尊敬を受けているのは、お金がある事の外(ほか)に、いずれも文童の父であるからだ。しかし阿Qの精神には格別の尊念が起らない。彼は想った。乃公だって倅(せがれ)があればもっと偉くなっているぞ! 城内に幾度も行った彼は自然己惚れが強くなっていたが、それでいながらまた城内の人をさげすんでいた。たとえば長さ三尺(じゃく)幅三寸の木の板で作った腰掛は、未荘では「長登(チャンテン)」といい、彼もまたそう言っているが、城内の人が「条登(デョーテン)」というと、これは間違いだ。おかしなことだ、と彼は思っている。鱈(たら)の煮浸(にびた)しは未荘では五分切の葱の葉を入れるのであるが、城内では葱を糸切りにして入れる。これも間違いだ、おかしなことだ、と彼は思っている。ところが未荘の人はまったくの世間見ずで笑うべき田舎者だ。彼等は城内の煮魚さえ見たことがない。
 阿Qは「以前は豪勢なもん」で見識が高く、そのうえ「何をさせてもソツがない」のだから、ほとんど一(いっ)ぱしの人物と言ってもいいくらいのものだが、惜しいことに、彼は体質上少々欠点があった。とりわけ人に嫌らわれるのは、彼の頭の皮の表面にいつ出来たものかずいぶん幾個所(いくこしょ)も瘡(かさ)だらけの禿(はげ)があった。これは彼の持物であるが、彼のおもわくを見るとあんまりいいものでもないらしく、彼は「癩(らい)」という言葉を嫌って一切「頼(らい)」に近い音(おん)までも嫌った。あとではそれを推(お)しひろめて「亮(りょう)」もいけない。「光(こう)」もいけない。その後また「燈(とう)」も「燭(しょく)」も皆いけなくなった。そういう言葉をちょっとでも洩(もら)そうものなら、それが故意であろうと無かろうと、阿Qはたちまち頭じゅうの禿を真赤(まっか)にして怒り出し、相手を見積って、無口の奴は言い負かし、弱そうな奴は擲(なぐ)りつけた。しかしどういうものかしらん、結局阿Qがやられてしまうことが多く、彼はだんだん方針を変更し、大抵の場合は目を怒らして睨んだ。
 ところがこの怒目(どもく)主義を採用してから、未荘のひま人はいよいよ附け上がって彼を嬲(なぶ)り物にした。ちょっと彼の顔を見ると彼等はわざとおッたまげて
「おや、明るくなって来たよ」
 阿Qはいつもの通り目を怒らして睨むと、彼等は一向平気で
「と思ったら、空気ランプがここにある」
 アハハハハハと皆は一緒になって笑った。阿Qは仕方なしに他の復讎の話をして
「てめえ達は、やっぱり相手にならねえ」
 この時こそ、彼の頭の上には一種高尚なる光栄ある禿があるのだ。ふだんの斑(まだ)ら禿とは違う。だが前にも言ったとおり阿Qは見識がある。彼はすぐに規則違犯を感づいて、もうその先きは言わない。
 閑人(ひまじん)達はまだやめないで彼をあしらっていると、遂に打ち合いになる。阿Qは形式上負かされて黄いろい辮子(べんつ)を引張られ、壁に対して四つ五つ鉢合せを頂戴(ちょうだい)し、閑人はようやく胸をすかして勝ち慢(ほこ)って立去る。
 阿Qはしばらく佇んでいたが、心の中(うち)で思った。「乃公は[#「「乃公は」は底本では「 乃公は」]つまり子供に打たれたんだ。今の世の中は全く成っていない......」そこで彼も満足し勝ち慢(ほこ)って立去る。
 阿Qは最初この事を心の中(うち)で思っていたが、遂にはいつも口へ出して言った。だから阿Qとふざける者は、彼に精神上の勝利法があることをほとんど皆知ってしまった。そこで今度彼の黄いろい辮子を引掴(ひっつか)む機会が来るとその人はまず彼に言った。
「阿Q、これでも子供が親爺(おやじ)を打つのか。さあどうだ。人が畜生を打つんだぞ。自分で言え、人が畜生を打つと」
 阿Qは自分の辮子で自分の両手を縛られながら、頭を歪めて言った。
「虫ケラを打つを言えばいいだろう。わしは虫ケラだ。――まだ放さないのか」
 だが虫ケラと言っても閑人は決して放さなかった。いつもの通り、ごく近くのどこかの壁に彼の頭を五つ六つぶっつけて、そこで初めてせいせいして勝ち慢(ほこ)って立去る。彼はそう思った。今度こそ阿Qは凹垂(へこた)れたと。
 ところが十秒もたたないうちに阿Qも満足して勝ち慢(ほこ)って立去る。阿Qは悟った。乃公は自(みずか)ら軽んじ自ら賤(いや)しむことの出来る第一の人間だ。そういうことが解らない者は別として、その外の者に対しては「第一」だ。状元(じょうげん)もまた第一人じゃないか。「人を何だと思っていやがるんだえ」
 阿Qはこういう種々の妙法を以て怨敵を退散せしめたあとでは、いっそ愉快になって酒屋に馳けつけ、何杯か酒を飲むうちに、また別の人と一通り冗談を言って一通り喧嘩をして、また勝ち慢(ほこ)って愉快になって、土穀祠(おいなりさま)に帰り、頭を横にするが早いか、ぐうぐう睡(ねむ)ってしまうのである。
 もしお金があれば彼は博奕(ばくち)を打ちに行(ゆ)く。一かたまりの人が地面にしゃがんでいる。阿Qはその中に割込んで一番威勢のいい声を出している。
「青竜四百(ちんろんすーぱ)!」
「よし......あける......ぞ」
 堂元は蓋を取って顔じゅう汗だらけになって唱(うた)い始める。
「天門(てんもん)当(あた)り――隅返(すみがえ)し、人と、中張(なかばり)張手(はりて)無し――阿Qの銭(ぜに)はお取上げ――」
「中張百文(なかばりひゃくもん)――よし百五十文(もん)張ったぞ」
 阿Qの銭はこのような吟詠のもとに、だんだん顔じゅう汗だらけの人の腰の辺に行ってしまう。彼は遂にやむをえず、かたまりの外(そと)へ出て、後ろの方に立って人の事で心配しているうちに、博奕(ばくち)はずんずん進行してお終(しま)いになる。それから彼は未練らしく土穀祠(おいなりさま)に帰り、翌日は眼のふちを腫らしながら仕事に出る。
 けれど「塞翁(さいおう)が馬を無くしても、災難と極(き)まったものではない」。阿Qは不幸にして一度勝ったが、かえってそれがためにほとんど大きな失敗をした。
 それは未荘の祭の晩だった。その晩例に依って芝居があった。例に依ってたくさんの博奕場(ばくちば)が舞台の左側に出た。囃(はやし)の声などは阿Qの耳から十里の外へ去っていた。彼はただ堂元の歌の節だけ聴いていた。彼は勝った。また勝った。銅貨は小銀貨となり、小銀貨は大洋(だーやん)になり、大洋(だーやん)は遂に積みかさなった。彼は素敵な勢いで「天門両塊(てんもんりゃんかい)」と叫んだ。
 誰と誰が何で喧嘩を始めたんだか、サッパリ解らなかった。怒鳴るやら殴るやら、バタバタ馳け出す音などがしてしばらくの間眼が眩んでしまった。彼が起き上った時には博奕場も無ければ人も無かった。身中(みうち)にかなりの痛みを覚えて幾つも拳骨を食(く)い、幾つも蹶飛(けと)ばされたようであった。彼はぼんやりしながら歩き出して土穀祠(おいなりさま)に入った。気がついてみると、あれほどあった彼のお金は一枚も無かった。博奕場にいた者はたいていこの村の者では無かった。どこへ行って訊き出すにも訊き出しようがなかった。
 まっ白なピカピカした銀貨! しかもそれが彼の物なんだが今は無い。子供に盗(と)られたことにしておけばいいが、それじゃどうも気が済まない。自分を虫ケラ同様に思えばいいが、それじゃどうも気が済まない。彼は今度こそいささか失敗の苦痛を感じた。けれど彼は失敗を転じて遂に勝ちとした。彼は右手を挙げて自分の面(おもて)を力任せに引ッぱたいた。すると顔がカッとして火照(ほて)り出しかなりの痛みを感じたが、心はかえって落ち著(つ)いて来た。打ったのはまさに自分に違いないが、打たれたのはもう一人の自分のようでもあった。そうこうするうちに自分が人を打ってるような気持になった。――やっぱり幾らか火照(ほて)るには違いないが――心は十分満足して勝ち慢(ほこ)って横になった。
 彼は睡ってしまった。

第三章 続優勝記略

 それはそうと、阿Qはいつも勝っていたが、名前が売れ出したのは、趙太爺の御ちょうちゃくを受けてからのことだ。
 彼は二百文の酒手(さかて)を村役人に渡してしまうと、ぷんぷん腹を立てて寝転んだ。あとで思いついた。
「今の世界は話にならん。倅が親爺を打つ......」
 そこでふと趙太爺の威風を想い出し、それが現在自分の倅だと思うと我れながら嬉しくなった。彼が急に起き上って「若寡婦(ごけ)の墓参り」という歌を唱(うた)いながら酒屋へ行った。この時こそ彼は趙太爺よりも一段うわ手の人物に成り済ましていたのだ。
 変槓(へんてこ)なこったがそれからというものは、果してみんなが殊(こと)の外(ほか)彼を尊敬するようになった。これは阿Qとしては自分が趙太爺の父親になりすましているのだから当然のことであるが、本当の処(ところ)はそうでなかった。未荘の仕来(しきた)りでは、阿七(あしち)が阿八(はち)を打つような事があっても、あるいは李四(りし)が張三(ちょうさん)を打っても、そんなことは元より問題にならない。ぜひともある名の知れた人、たとえば趙太爺のような人と交渉があってこそ、初めて彼等の口に端(は)に掛るのだ。一遍口の端に掛れば、打っても評判になるし、打たれてもそのお蔭様で評判になるのだ。阿Qの思い違いなどもちろんどうでもいいのだ。そのわけは? つまり趙太爺に間違いのあるはずはなく、阿Qに間違いがあるのに、なぜみんなは殊の外彼を尊敬するようになったか? これは箆棒(べらぼう)な話だが、よく考えてみると、阿Qは趙太爺の本家だと言って打たれたのだから、ひょっとしてそれが本当だったら、彼を尊敬するのは至極穏当な話で、全くそれに越したことはない。でなければまた左(さ)のような意味があるかもしれない。聖廟(せいびょう)の中のお供物のように、阿Qは豬羊(ちょよう)と同様の畜生であるが、いったん聖人のお手がつくと、学者先生、なかなかそれを粗末にしない。
 阿Qはそれからというものはずいぶん長いこと偉張(いば)っていた。
 ある年の春であった。彼はほろ酔い機嫌で町なかを歩いていると、垣根の下の日当りに王※(ワンウー)[#「髟/胡」、U+9B0D、133-4]がもろ肌ぬいで虱(しらみ)を取っているのを見た。たちまち感じて彼も身体がむず痒(がゆ)くなった。この王※[#「髟/胡」、U+9B0D、133-5]は禿瘡(はげがさ)でもある上に、※(ひげ)[#「髟/胡」、U+9B0D、133-6]をじじむさく伸ばしていた。阿Qは禿瘡(はげがさ)の一点は度外に置いているが、とにかく彼を非常に馬鹿にしていた。阿Qの考(かんがえ)では、外(ほか)に格別変ったところもないが、その顋(あご)に絡まる※(ひげ)[#「髟/胡」、U+9B0D、133-7]は実にすこぶる珍妙なもので見られたざまじゃないと思った。そこで彼は側(そば)へ行って並んで坐った。これがもしほかの人なら阿Qはもちろん滅多に坐るはずはないが、王※[#「髟/胡」、U+9B0D、133-9]の前では何の遠慮が要るものか、正直のところ阿Qが坐ったのは、つまり彼を持上げ奉ったのだ。
 阿Qは破れ袷(あわせ)を脱ぎおろして一度引ッくらかえして調べてみた。洗ったばかりなんだがやはりぞんざいなのかもしれない。長いことかかって三つ四つ捉(とら)まえた。彼は王※[#「髟/胡」、U+9B0D、133-12]を見ると、一つまた一つ、二つ三つと口の中に抛(ほう)り込んでピチピチパチパチと噛み潰した。
 阿Qは最初失望してあとでは不平を起した。王※[#「髟/胡」、U+9B0D、133-14]なんて取るに足らねえ奴でも、あんなにどっさり持っていやがる。乃公を見ろ、あるかねえか解りゃしねえ。こりゃどうも大(おおい)に面目のねえこった。彼はぜひとも大きな奴を捫(ひね)り出そうと思ってあちこち捜した。しばらく経ってやっと一つ捉(とら)まえたのは中くらいの奴で、彼は恨めしそうに厚い脣の中に押込みヤケに噛み潰すと、パチリと音がしたが王※[#「髟/胡」、U+9B0D、134-4]の響(ひびき)には及ばなかった。
 彼は禿瘡の一つ一つを皆赤くして著物を地上に突放し、ペッと唾を吐いた。
「この毛虫め」
「やい、瘡(かさ)ッかき。てめえは誰の悪口を言うのだ」王※[#「髟/胡」、U+9B0D、134-7]は眼を挙げてさげすみながら言った。
 阿Qは近頃割合に人の尊敬を受け、自分もいささか高慢稚気(こうまんちき)になっているが、いつもやり合う人達の面を見ると、やはり心が怯(おく)れてしまう。ところが今度に限って非常な勢(いきおい)だ。何だ、こんな※(ひげ)[#「髟/胡」、U+9B0D、134-9]だらけの代物が生意気言(い)やがるとばかりで
「誰のこったか、おらあ知らねえ」阿Qは立ち上って、両手を腰の間に支えた。
「この野郎、骨が痒くなったな」王※[#「髟/胡」、U+9B0D、134-12]も立ち上がって著物を著た。
 相手が逃げ出すかと思ったら、掴み掛(かか)って来たので、阿Qは拳骨を固めて一突き呉(く)れた。その拳骨がまだ向うの身体(からだ)に届かぬうちに、腕を抑えられ、阿Qはよろよろと腰を浮かした。じつけられた辮子は墻(まがき)の方へと引張られて行って、いつもの通りそこで鉢合せが始まるのだ。
「君子は口を動かして手を動かさず」と阿Qは首を歪めながら言った。
 王※[#「髟/胡」、U+9B0D、135-3]は君子でないと見え、遠慮会釈もなく彼の頭を五つほど壁にぶっつけて力任せに突放(つっぱな)すと、阿Qはふらふらと六尺余り遠ざかった。そこで※(ひげ)[#「髟/胡」、U+9B0D、135-4]は大(おおい)に満足して立去った。
 阿Qの記憶ではおおかたこれは生れて初めての屈辱といってもいい、王※[#「髟/胡」、U+9B0D、135-5]は顋(あご)に絡まる※(ひげ)[#「髟/胡」、U+9B0D、135-5]の欠点で前から阿Qに侮られていたが、阿Qを侮ったことは無かった。むろん手出しなど出来るはずの者ではなかったが、ところが現在遂に手出しをしたから妙だ。まさか世間の噂のように皇帝が登用(とうよう)試験をやめて秀才も挙人(きょじん)も不用になり、それで趙家の威風が減じ、それで彼等も阿Qに対して見下すようになったのか。そんなことはありそうにも思われない。
 阿Qは拠所(よんどころ)なく彳(たたず)んだ。
 遠くの方から歩いて来た一人は彼の真正面に向っていた。これも阿Qの大嫌いの一人で、すなわち錢太爺の総領息子だ。彼は以前城内の耶蘇(やそ)学校に通学していたが、なぜかしらんまた日本へ行った。半年あとで彼が家(うち)に帰って来た時には膝が真直ぐになり、頭の上の辮子が無くなっていた。彼の母親は大泣きに泣いて十幾幕も愁歎場(しゅうたんば)を見せた。彼の祖母は三度井戸に飛び込んで三度引上げらた。あとで彼の母親は到処(いたるところ)で説明した。
「あの辮子は悪い人から酒に盛りつぶされて剪(き)り取られたんです。本来あれがあればこそ大官(たいかん)になれるんですが、今となっては仕方がありません。長く伸びるのを待つばかりです」
 さはいえ阿Qは承知せず、一途に彼を「偽毛唐(けとう)」「外国人の犬」と思い込み、彼を見るたんびに肚(はら)の中で罵(ののし)り悪(にく)んだ。
 阿Qが最も忌み嫌ったのは、彼の一本のまがい辮子だ。擬(まが)い物と来てはそれこそ人間の資格がない。彼の祖母が四度(よど)目の投身をしなかったのは善良の女でないと阿Qは思った。
 その「偽毛唐」が今近づいて来た。「禿(は)げ、驢(ろ)......」阿Qは今まで肚の中で罵るだけで口へ出して言ったことはなかったが、今度は正義の憤(いきどお)りでもあるし、復讎の観念もあったかた、思わず知らず出てしまった。
 ところがこの禿の奴、一本のニス塗りのステッキを持っていて――それこそ阿Qに言わせると葬式の泣き杖(づえ)だ――大跨(おおまた)に歩いて来た。この一刹那(せつな)に阿Qは打たれるような気がして、筋骨を引締(ひきし)め肩を聳(そびや)かして待っていると果して
 ピシャリ。
 確かに自分の頭に違いない。
「あいつのことを言ったんです」と阿Qは、側(そば)に遊んでいる一人の子供を指さした。
 ピシャリ、ピシャリ。
 阿Qの記憶ではおおかたこれが今まであった第二の屈辱といってもいい。幸いピシャリ、ピシャリの響(ひびき)のあとは、彼に関する一事件が完了したように、かえって非常に気楽になった。それにまた「すぐ忘れてしまう」という先祖伝来の宝物が利き目をあらわし、ぶらぶら歩いて酒屋の門口(かどぐち)まで来た時にはもうすこぶる元気なものであった。
 折柄(おりから)向うから来たのは、靜修庵(せいしゅうあん)の若い尼であった。阿Qはふだんでも彼女を見るときっと悪態を吐(つ)くのだ。ましてや屈辱のあとだったから、いつものことを想い出すと共に敵愾心(てきがいしん)を喚起(よびおこ)した。
「きょうはなぜこんなに運が悪いかと思ったら、さてこそてめえを見たからだ」と彼は独りでそう極めて、わざと彼女にきこえるように大唾を吐いた。
「ペッ、プッ」
 若い尼は皆目(かいもく)眼も呉れず頭をさげてひたすら歩いた。すれちがいに阿Qは突然手を伸ばして彼女の剃り立ての頭を撫でた。
「から坊主! 早く帰れ。和尚が待っているぞ」
「お前は何だって手出しをするの」
 尼は顔じゅう真赤にして早足で歩き出した。
 酒屋の中の人は大笑いした。己れの手柄を認めた阿Qはますますいい気になってハシャギ出した。
「和尚はやるかもしれねえが、おらあやらねえ」彼は、彼女の頬(ほっ)ぺたを摘(つま)んだ。
 酒屋の中の人はまた大笑いした。阿Qはいっそう得意になり、見物人を満足させるために力任せに一捻りして彼女を突放した。
 彼はこの一戦で王※[#「髟/胡」、U+9B0D、138-9]のことも偽毛唐のことも皆忘れてしまって、きょうの一切の不運が報いられたように見えた。不思議なことにはピシャリ、ピシャリのあの時よりも全身が軽く爽やかになって、ふらふらと今にも飛び出しそうに見えた。
「阿Qの罰(ばち)当りめ。お前の世継ぎは断(た)えてしまうぞ」遠くの方で尼の泣声がきこえた。
「ハハハ」阿Qは十分得意になった。
「ハハハ」酒屋の中の人も九分(くぶ)通り得意になって笑った。

第四章 恋愛の悲劇

 こういう人があった。勝利者というものは、相手が虎のような鷹のようなものであれかしと願い、それでこそ彼は初めて勝利の歓喜を感じるのだ。もし相手が羊のようなものだったら、彼はかえって勝利の無聊(ぶりょう)を感じる。また勝利者というものは、一切を征服したあとで死ぬものは死に、降(くだ)るものは降って、「臣誠惶誠恐死罪死罪(しんせいこうせいきょうしざいしざい)」というような状態になると、彼は敵が無くなり相手が無くなり友達が無くなり、たった一人上にいる自分だけが別物になって、凄(すさま)じく淋しくかえって勝利者の悲哀を感じる。ところが我が阿Qにおいてはこのような欠乏はなかった。ひょっとするとこれは支那(しな)の精神文明が全球第一である一つの証拠かもしれない。
 見たまえ。彼はふらりふらりと今にも飛び出しそうな様子だ。
 しかしながらこの一囘の勝利がいささか異様な変化を彼に与えた。彼はしばらくの間ふらりふらりと飛んでいたが、やがてまたふらりと土穀祠(おいなりさま)に入った。常例に拠るとそこですぐ横になって鼾(いびき)をかくんだが、どうしたものかその晩に限って少しも睡れない。彼は自分の親指と人差指がいつもよりも大層脂漲(あぶらぎ)って変な感じがした。若い尼の顔の上の脂が彼の指先に粘りついたのかもしれない。それともまた彼の指先が尼の面(つら)の皮にこすられてすべっこくなったのかもしれない。
「阿Qの罰当りめ。お前の世嗣(よつ)ぎは断(た)えてしまうぞ」
 阿Qの耳朶(みみたぶ)の中にはこの声が確かに聞えていた。彼はそう想った。
「ちげえねえ。一人の女があればこそだ。子が断(た)え孫が断(た)えてしまったら、死んだあとで一碗の御飯を供える者がない。......一人の女があればこそだ」
 一体「不孝には三つの種類があって後嗣(あとつ)ぎが無いのが一番悪い」、そのうえ「若敖之鬼餒而(むえんぼとけのひぼし)」これもまた人生の一大悲哀だ。だから彼もそう考えて、実際どれもこれも聖賢の教(おしえ)に合致していることをやったんだが、ただ惜しいことに、後になってから「心の駒を引き締めることが出来なかった」
「女、女......」と彼は想った。
「......和尚(陽器(ようき))は動く。女、女!......女!」と彼は想った。
 われわれはその晩いつ時分になって、阿Qがようやく鼾をかいたかを知ることが出来ないが、とにかくそれからというものは彼の指先に女の脂がこびりついて、どうしても「女!」を思わずにはいられなかった。
 たったこれだけでも、女というものは人に害を与える代物(しろもの)だと知ればいい。
 支那の男は本来、大抵皆聖賢となる資格があるが、惜しいかな大抵皆女のために壊されてしまう。商(しょう)は妲己(だっき)[#「妲己」は底本では「姐己」]のために騒動がもちあがった。周(しゅう)は褒(ほうじ)のために破壊された? 秦......公然歴史に出ていないが、女のために秦は破壊されたといっても大して間違いはあるまい。そうして董卓(とうたく)は貂蝉(てんぜん)のために確実に殺された。
 阿Qは本来正しい人だ。われわれは彼がどんな師匠に就いて教(おしえ)を受けたか知らないが、彼はふだん「男女の区別」を厳守し、かつまた異端を排斥する正気(せいき)があった。たとえば尼、偽毛唐の類(るい)。――彼の学説では凡ての尼は和尚と私通している。女が外へ出れば必ず男を誘惑しようと思う。男と女と話をすればきっと碌なことはない。彼は彼等を懲しめる考(かんがえ)で、おりおり目を怒らせて眺め、あるいは大声をあげて彼等の迷いを醒(さま)し、あるいは密会所に小石を投げ込むこともある。
 ところが彼は三十になって竟(つい)に若い尼になやまされて、ふらふらになった。このふらふらの精神は礼教(れいきょう)上から言うと決してよくないものである。――だから女は真に悪(にく)むべきものだ。もし尼の顔が脂漲っていなかったら阿Qは魅せられずに済んだろう。もし尼の顔に覆面が掛っていたら阿Qは魅せられずに済んだろう――彼は五六年前(ぜん)、舞台の下の人混(ひとご)みの中で一度ある女の股倉(またくら)に足を挟まれたが、幸いズボンを隔てていたので、ふらふらになるようなことはなかった。ところが今度の若い尼は決してそうではなかった。これを見てもいかに異端の悪(にく)むべきかを知るべし。
 彼は「こいつはきっと男を連れ出すわえ」と思うような女に対していつも注意してみていたが、彼女は決して彼に向って笑いもしなかった。彼は自分と話をする女の言葉をいつも注意して聴いていたが、彼女は決して艶(つや)ッぽい話を持ち出さなかった。おおこれが女の悪(にく)むべき点だ。彼等は皆「偽道徳」を著(き)ていた。そう思いながら阿Qは
「女、女!......」と想った。
 その日阿Qは趙太爺の家(うち)で一日米を搗いた。晩飯が済んでしまうと台所で煙草を吸った。これがもしほかの家なら晩飯が済んでしまうとすぐに帰るのだが趙家は晩飯が早い。定例(じょうれい)に拠るとこの場合点燈を許さず、飯が済むとすぐ寝てしまうのだが、端無くもまた二三の例外があった。
 その一は趙太爺が、まだ秀才に入らぬ頃、燈(あかり)を点じて文章を読むことを許された。その二は阿Qが日雇いに来る時は燈を点じて米搗くことを許された。この例外の第二に依って、阿Qが米搗きに著手(ちゃくしゅ)する前に台所で煙草を吸っていたのだ。
 呉媽(ウーマ)は、趙家の中(うち)でたった一人の女僕(じょぼく)であった。皿小鉢を洗ってしまうと彼女もまた腰掛の上に坐して阿Qと無駄話をした。
「奥さんはきょうで二日御飯をあがらないのですよ。だから旦那は小妾(ちいさい)のを一人買おうと思っているんです」
「女......呉媽......このチビごけ」と阿Qは思った。
「うちの若奥さんは八月になると、赤ちゃんが生れるの」
「女......」と阿Qは想った。
 阿Qは煙管(きせる)を置いて立上った。
「内(うち)の若奥さんは......」と呉媽はまだ喋舌(しゃべ)っていた。
「乃公とお前と寝よう。乃公とお前と寝よう」
 阿Qはたちまち強要と出掛け、彼女に対してひざまずいた。
 一刹那(せつな)、極めて森閑(しんかん)としていた。
 呉媽はしばらく神威(しんい)に打たれていたが、やがてガタガタ顫え出した。
「あれーッ」
 彼女は大声上げて外へ馳(か)け出し、馳(か)け出しながら怒鳴っていたが、だんだんそれが泣声に変って来た。
 阿Qは壁に対(むか)って跪坐(きざ)し、これも神威に打たれていたが、この時両手をついて無性(ぶしょう)らしく腰を上げ、いささか沫(あわ)を食ったような体(てい)でドギマギしながら、帯の間に煙管を挿し込み、これから米搗きに行(ゆ)こうかどうしようかとまごまごしているところへ、ポカリと一つ、太い物が頭の上から落ちて来た。彼はハッとして身を転じると、秀才は竹の棒キレをもって行手を塞いだ。
「キサマは謀叛(むほん)を起したな。これ、こん畜生.........」
 竹の棒はまた彼に向って振り下された。彼は両手を挙げて頭をかかえた。当ったところはちょうど指の節の真上で、それこそ本当に痛く、夢中になって台所を飛び出し、門を出る時また一つ背中の上をどやされた。
「忘八蛋(ワンパダン)」
 後ろの方で秀才が官話(かんわ)を用いて罵る声が聞えた。
 阿Qは米搗場に駈(かけ)込んで独り突立っていると、指先の痛みはまだやまず、それにまた「忘八蛋(ワンパダン)」という言葉が妙に頭に残って薄気味悪く感じた。この言葉は未荘の田舎者はかつて使ったことがなく、専(もっぱ)らお役所のお歴々(れきれき)が用ゆるもので印象が殊の外深く、彼の「女」という思想など、急にどこへか吹っ飛んでしまった。しかし、ぶっ叩かれてしまえば事件が落著して何の障(さわ)りがないのだから、すぐに手を動かして米を搗き始め、しばらく搗いていると身内が熱くなって来たので、手をやすめて著物(きもの)をぬいだ。
 著物(きもの)を脱ぎおろした時、外の方が大変騒々しくなって来た。阿Qは自体賑やかなことが好きで、声を聞くとすぐに声のある方へ馳(か)け出して行った。だんだん側(そば)へ行ってみると、趙太爺の庭内でたそがれの中ではあるが、大勢集(あつま)っている人の顔の見分けも出来た。まず目につくのは趙家のうちじゅうの者と二日も御飯を食べないでいる若奥さんの顔も見えた。他に隣の鄒七嫂(すうしちそう)や本当の本家の趙白眼(ちょうはくがん)、趙司晨(ちょうししん)などもいた。
 若奥さんは下部屋(しもべや)からちょうど呉媽を引張り出して来たところで
「お前はよそから来た者だ......自分の部屋に引込んでいてはいけない......」
 鄒七嫂も側(そば)から口を出し
「誰だってお前の潔白を知らない者はありません......決して気短なことをしてはいけません」といった。
 呉媽はひた泣きに泣いて、何か言っていたが聞き取れなかった。
 阿Qは想った。「ふん、面白い。このチビごけが、どんな悪戯(いたづら)をするかしらんて?」
 彼は立聴きしようと思って趙司晨の側(そば)までゆくと、趙太爺は大きな竹の棒を手に持って彼を目蒐(めが)けて跳び出して来た。
 阿Qは竹の棒を見ると、この騒動が自分が前に打たれた事と関係があるんだと感づいて、急に米搗場に逃げ帰ろうとしたが、竹の棒は意地悪く彼の行手を遮った。そこで自然の成行きに任せて裏門から逃げ出し、ちょっとの間(ま)に彼はもう土穀祠(おいなりさま)の宮の中にいた。阿Qは坐っていると肌が粟立(あわだ)って来た。彼は冷たく感じたのだ。春とはいえ夜になると残りの寒さが身に沁(し)み、裸でいられるものではない。彼は趙家に置いて来た上衣(うわぎ)がつくづく欲しくなったが、取りに行けば秀才の恐ろしい竹の棒がある。そうこうしているうちに村役人が入って来た。
「阿Q、お前のお袋のようなものだぜ。趙家の者にお前がふざけたのは、つまり目上を犯したんだ。お蔭で乃公はゆうべ寝ることが出来なかった。お前のお袋のようなものだぜ」
 こんな風に一通り教訓されたが、阿Qはもちろん黙っていた。挙句の果てに、夜だから役人の酒手を倍増しにして四百文出すのが当前(あたりまえ)だということになった。阿Qは今持合せがないから一つの帽子を質に入れて、五つの条件を契約した。
一、明日(みょうにち)紅蝋燭(べにろうそく)一対(目方一斤の物に限る)線香一封を趙家に持参して謝罪する事。
二、趙家では道士を喚んで首縊(くく)りの幽霊を祓う事(首縊幽霊(くびくくりゆうれい)は最も獰猛なる悪鬼(あくき)で、阿Qが女を口説いたのもその祟りだと仮想する)。費用は阿Qの負担とす。
三、阿Qは今後決して趙家の閾(しきい)を越えぬ事。
四、呉媽に今後意外の変事があった時には、阿Qの責任とす。
五、阿Qは手間賃と袷を要求することを得ず。

 阿Qはもちろん皆承諾したが、困ったことにはお金が無い。幸い春でもあるし、要らなくなった棉(わた)入れを二千文に質入れして契約を履行した。そうして裸になってお辞儀をしたあとは、確かに幾文(いくもん)か残ったが、彼はもう帽子を請け出そうとも思わず、あるだけのものは皆酒にして思い切りよく飲んでしまった。
 一方趙家では、蝋燭も線香もつかわずに、大奥さんが仏参(ぶつさん)の日まで蔵(しま)っておいた。そうしてあの破れ上衣の大半は若奥さんが八月生んだ赤坊(あかんぼう)のおしめになって、その切屑は呉媽の鞋底(くつぞこ)に使われた。

第五章 生計問題

 阿Qはお礼を済ましてもとのお廟(みや)に帰って来ると、太陽は下りてしまい、だんだん世の中が変になって来た。彼は一々想い廻した結果ついに悟るところがあった。その原因はつまり自分の裸にあるので、彼は破れ袷がまだ一枚残っていることを想い出し、それを引掛けて横になって眼を開けてみると太陽はまだ西の墻(まがき)を照しているのだ。彼は起き上りながら「お袋のようなものだ」と言ってみた。
 彼はそれからまたいつものように街に出て遊んだ。裸者の身を切るようなつらさはないが、だんだん世の中が変に感じて来た。何か知らんが未荘の女はその日から彼を気味悪がった。彼等は阿Qを見ると皆門の中へ逃げ込んだ。極端なことには五十に近い鄒七嫂まで人のあとに跟(つ)いて潜り込み、その上十一になる女の児(こ)を喚び入れた。阿Qは不思議でたまらない。「こいつ等(ら)はどれもこれもお嬢さんのようなしなしていやがる。なんだ、売淫(ばいた)め」
 阿Qはこらえ切れなくなってお馴染(なじみ)の家(うち)に行って探りを入れた。――ただし趙家の閾(しきい)だけは跨(また)ぐことが出来ない――何しろ様子がすこぶる変なので、どこでもきっと男が出て来て、蒼蝿(うるさ)そうな顔付(かおつき)を見せ、まるで乞食(こじき)を追払(おっぱら)うような体裁で
「無いよ無いよ。向うへ行ってくれ」と手を振った。
 阿Qはいよいよ不思議に感じた。
 この辺の家(うち)は前から手伝が要るはずなんだが、今急に暇になるわけがない。こりゃあきっと何か曰くがあるはずだ、と気をつけてみると、彼等は用のある時には小DON(しょうドン)をよんでいた。この小Dはごくごくみすぼらしい奴で痩せ衰えていた。阿Qの眼から見ると王※[#「髟/胡」、U+9B0D、149-6]よりも劣っている。ところがこの小わッぱめが遂に阿Qの飯碗を取ってしまったんだから、阿Qの怒(いかり)尋常一様のものではない。彼はぷんぷんしながら歩き出した。そうしてたちまち手をあげて呻(うな)った。
「鉄の鞭で手前を引ッぱたくぞ」
 幾日かのあとで、彼は遂に錢府(せんふ)の照壁(衝立(ついたて)の壁)の前で小Dにめぐり逢った。「讎(かたき)の出会いは格別ハッキリ見える」もので、彼はずかずか小Dの前に行(ゆ)くと小Dも立止った。
「畜生!」阿Qは眼に稜(かど)を立て口の端へ沫(あわ)を吹き出した。
「俺は虫ケラだよ。いいじゃねぇか......」と小Dは言った。
 したでに出られて阿Qはかえって腹を立てた。彼の手には鉄の鞭が無かった。そこでただ殴るより仕様がなかった。彼は手を伸して小Dの辮子を引掴むと、小Dは片ッぽの手で自分の辮根(べんこん)を守り、片ッぽの手で阿Qの辮子を掴んだ。阿Qもまた空いている方の手で自分の辮根を守った。
 以前の阿Qの勢(いきおい)を見ると小Dなど問題にもならないが、近頃彼は飢餓のため痩せ衰えているので五分々々の取組となった。四つの手は二つの頭を引掴んで双方腰を曲げ、半時間の久しきに渡って、錢府の白壁の上に一組の藍色の虹形(にじがた)を映出(えいしゅつ)した。
「いいよ。いいよ」見ていた人達はおおかた仲裁する積りで言ったのであろう。
「よし、よし」見ている人達は、仲裁するのか、ほめるのか、それとも煽(おだ)てるのかしらん。
 それはそうと二人は人のことなど耳にも入らなかった。阿Qが三歩進むと小Dは三歩退(しりぞ)き、遂に二人とも突立った。小Dが三歩進むと阿Qは三歩退き、遂にまた二人とも突立った。およそ半時間......未荘には時計がないからハッキリしたことは言えない。あるいは二十分かもしれない......彼等の頭はいずれも埃がかかって、額の上には汗が流れていた。そうして阿Qが手を放した間際に小Dも手を放した。同じ時に立上って同じ時に身を引いてどちらも人ごみの中に入った。
「覚えていろ、馬鹿野郎」阿Qは言った。
「馬鹿野郎、覚えていろ」小Dもまた振向いて言った。
 この一幕(ひとまく)の「竜虎図」は全く勝敗がないと言っていいくらいのものだが、見物人は満足したかしらん、誰(たれ)も何とも批評するものもない。そうして阿Qは依然として仕事に頼まれなかった。
 ある日非常に暖かで風がそよそよと吹いてだいぶ夏らしくなって来たが、阿Qはかえって寒さを感じた。しかしこれにはいろいろのわけがある。第一腹が耗(へ)って蒲団も帽子も上衣(うわぎ)もないのだ。今度棉入れを売ってしまうと、褌子(ズボン)は残っているが、こればかりは脱ぐわけには行(ゆ)かない。破れ袷が一枚あるが、これも人にやれば鞋底の資料になっても、決してお金にはならない。彼は往来でお金を拾う予定で、とうから心掛けていたが、まだめっからない。家の中を見廻したところで何一つない。彼は遂におもてへ出て食を求めた。
 彼は往来を歩きながら「食を求め」なければならない。見馴れた酒屋を見て、見馴れた饅頭を見て、ずんずん通り越した。立ちどまりもしなければ欲しいとも思わなかった。彼の求むるものはこの様なものではなかった。彼の求むるものは何だろう。彼自身も知らなかった。
 未荘はもとより大きな村でもないから、まもなく行(ゆ)き尽してしまった。村端(はず)れは大抵水田であった[#「水田であった」は底本では「水あ田でった」]。見渡す限りの新稲(しんいね)の若葉の中に幾つか丸形の活動の黒点が挟まれているのは、田を耕す農夫であった。阿Qはこの田家(でんか)の楽しみを鑑賞せずにひたすら歩いた。彼は直覚的に彼の「食を求める」道はこんなまだるっこいことではいけない思ったから、彼は遂に靜修庵(せいしゅうあん)の垣根の外へ行った。
 庵のまわりは水田であった。白壁(しらかべ)が新緑の中に突き出していた。後ろの低い垣の中に菜畑があった。
 阿Qはしばらくためらっていたが、あたりを見ると誰も見えない。そこで低い垣を這い上って何首烏(かしゅう)の蔓(つる)を引張るとザラザラと泥が落ちた。阿Qは顫える足を踏みしめて桑の樹に攀(よ)じ昇り、畑中(はたなか)へ飛び下りると、そこは繁りに繁っていたが、老酒(ラオチュ)も饅頭も食べられそうなものは一つもない。西の垣根の方は竹藪で、下にたくさん筍(たけのこ)が生えていたが生憎ナマで役に立たない。そのほか菜種があったが実を結び、芥子菜(からしな)は花が咲いて、青菜は伸び過ぎていた。
 阿Qは試験に落第した文童のような謂れなき屈辱を感じて、ぶらぶら園門の側(そば)まで来ると、たちまち非常な喜びとなった。これは明かに大根畑だ。彼がしゃがんで抜き取ったのは、一つごく丸いものであったが、すぐに身をかがめて帰って来た。これは確かに尼ッちょのものだ。尼ッちょなんてものは阿Qとしては若草の屑のように思っているが、世の中の事は「一歩退(しりぞ)いて考え」なければならん。だから彼はそそくさに四つの大根を引抜いて葉をむしり捨て著物の下まえの中に蔵(しま)い込んだが、その時もう婆(ばば)の尼は見つけていた。
「おみどふ(阿弥陀仏)、お前はなんだってここへ入って来たの、大根を盗んだね......まあ呆れた。罪作りの男だね。おみどふ......」
「俺はいつお前の大根を盗んだえ」阿Qは歩きながら言った。
「それ、それ、それで盗まないというのかえ」と尼は阿Qの懐ろをさした。
「これはお前の物かえ。大根に返辞をさせることが出来るかえ。お前......」
 阿Qは言いも完(おわ)らぬうちに足をもちゃげて馳(か)け出した。追っ馳けて来たのは、一つのすこぶる肥大の黒狗(くろいぬ)で、これはいつも表門の番をしているのだが、なぜかしらんきょうは裏門に来ていた。黒狗はわんわん追いついて来て、あわや阿Qの腿(もも)に噛みつきそうになったが、幸い著物の中から一つの大根がころげ落ちたので、狗は驚いて飛びしさった。阿Qは早くも桑の樹にかじりつき土塀を跨いだ。人も大根も皆垣(かき)の外へころげ出した。狗は取残されて桑の樹に向って吠えた。尼は念仏を申(まお)した。
 尼が狗をけしかけやせぬかと思ったから、阿Qは大根を拾う序(ついで)に小石を掻き集めたが、狗は追いかけても来なかった。そこで彼は石を投げ捨て、歩きながら大根を噛(かじ)って、この村もいよいよ駄目だ、城内に行(ゆ)く方がいいと想った。
 大根を三本食ってしまうと彼は已(すで)に城内行(ゆき)を決行した。

第六章 中興から末路へ

 阿Qが再び未荘に現われた時はその年の中秋節が過ぎ去ったばかりの時だ。人々は皆おッたまげて、阿Qが帰って来たと言った。そこで前の事を囘想してみると、彼はいつも城内から帰って来ると非常な元気で人に向って吹聴したもんだが、今度は決してそんなことはなかった。ひょっとすると、彼はお廟(みや)の番人に話したかもしれない、未荘のしきたりでは趙太爺と錢太爺ともう一人秀才太爺(しゅうさいだんな)が城内に行(ゆ)けば問題になるだけで、偽毛唐でさえも物の数にされないのだから、いわんや阿Qにおいてをやだ。だから番人の親爺も彼のために宣伝するはずもないのに、未荘の人達がどうして知っていたのだろう。
 だが阿Qの今度の帰りは前とは大(おおい)に違っていた。確かにはなはだ驚異の値打があった。
 空の色が黒くなって来た時、彼は酔眼朦朧(すいがんもうろう)として、酒屋の門前に現われた。彼は櫃台(デスク)の側へ行って、腰の辺から伸した手に一杯握っていたのは銀と銅。櫃台(デスク)の上にざらりと置き、「現金だぞ、酒を持って来い」と言った。見ると新しい袷を著て、腰の辺には大搭連(おおどうらん)がどっしりと重みを見せ、帯紐が下へさがって弓状(ゆみなり)の弧線(なりせん)をなしている。
 未荘の仕来りとして誰でもちょっと目覚ましい人物を見出した時、侮るよりもまず敬うのである。現在これが明かに阿Qであると知りながら破れ袷の阿Qとは別々である。古人の言葉に「たとい三日の間でも別れた人に逢った時には目を見張ってその特徴を見出さなければならん」といっている。そういうわけで、ボーイも番頭も見ず知らずのそこらの人も、一種の疑いを持ちながら自然と敬いの態度を現わした。
 番頭はまず合点して話しかけた。
「ほう阿Q、お前さん、帰っておいでだね」
「帰って来たよ」
「景気がいいねえ。お前さんは――にいたの......」
「城内に行っていた......」この一つのニウスは二日目に未荘じゅうに伝わった。人々はみな、現金と新しい袷を持っている阿Qの中興史を聴きたく思った。そういうわけで、酒屋の中でも茶館の中でも廟(おみや)の軒下でも、皆だんだんに探りを入れて聴き出した。その結果阿Qは新奇の畏敬を得た。
 阿Qの話では、彼は挙人太爺(きょじんだんな)の家(うち)のお手伝をしていた。この一節を聴いた者は皆かしこまった。この老爺(だんな)は姓を白(はく)といい城内切っての挙人であるから改めて姓をいう必要がない。挙人という話が出ればつまり彼である。これは未荘だけでそう言っているのではない、この辺百里の区域の内は皆そうであった。人々はほとんど大抵彼の姓名を挙人老爺(きょじんだんな)だと思っていた。そのお方のお屋敷でお手伝していたのはもちろん敬うべきことである。けれど阿Qの言うとこにゃ、彼はもう行ってやる気はない。この挙人老爺は実に非常な「馬鹿者」だ。この話を聴いた者はみな歎息して嬉しがった。阿Qは挙人老爺の家で働くような人ではないが、働かないのも惜しいこった。
 阿Qの話でみると、彼が帰って来たのは城内の人が気に入らぬからであるらしい。これはつまり、長(チャンテン)(長床几(ながしょうぎ))を条(デウテン)ということや、葱の糸切を魚の中に入れたり、そのうえ近頃見つけ出した欠点は、女の歩き方がいやにねじれてはなはだよくない。しかしまた大(おおい)に敬服すべき方面もある。早い話が未荘の田舎者は三十二枚の竹牌(ちくはい)(牌の目の二面を以て成立った牌)を打つだけのことで、麻将(マーチャン)を知っている者は偽毛唐だけであるが、城内では小さな餓鬼(がき)までが皆よく知っている。なんだって偽毛唐が、城内の十歳そこそこの子供の手の中に入ってしまうのか。これこそ「小鬼が閻魔様と同資格で会見する」様なもので、聴けば赤面の到りだ。「てめえ達は、首斬(くびきり)を見たことがあるめえ」と阿Qは言った。「ふん、見てくれ、革命党を殺すなんておもしれえもんだぜ」
 彼は首をふると、ちょうどまん中にいた趙司晨の顔の上に唾(つばき)がはねかかった。この一言に皆の者はぞっとした。だが阿Qは一向平気であたりを見廻し、たちまち右手をあげて、折柄(おりから)頸(くび)を延して聴き惚れている王※[#「髟/胡」、U+9B0D、157-4]のぼんのくぼを目蒐(めが)けて、打ちおろした。
「ぴしゃり!」
 王※[#「髟/胡」、U+9B0D、157-6]は驚いて跳び上り稲妻のような速力で頸を縮めた。見ていた人達は気味悪くもあり、おかしくもあった。それからというものは王※[#「髟/胡」、U+9B0D、157-7]の馬鹿野郎、ずいぶん長い間、阿Qの側(そば)へは近寄らなかった。ほかの人達もまた同じようであった。
 阿Qはこの時、未荘の人の眼の中の見当では、趙太爺以上には見えないが、たいていおつかつの偉さくらいに思われていたといっても、さしたる語弊はなかろう。
 そうこうする中(うち)にこの阿Qの評判は、たちまち未荘の女部屋の奥に伝わった。未荘では錢趙両家だけが大家(たいけ)で、その他はたいてい奥行が浅かった。けれども女部屋はつまり女部屋であるから一つの不思議と言ってもいい。女どもは寄るとさわるときっとその話をした。鄒七嫂が阿Qの処から買った一枚のお納戸絹(なんどぎぬ)の袴は古いには違いないが、たった九十仙だった。趙白眼の母親も――一説には趙司晨の母親だということだが、それはどうかしらん――彼女もまた一枚の子供用の真赤な瓦斯織(がすおり)の単衣物(ひとえもの)を買ったが、まだちょっと手を通したばかりの物がたった三百大銭(だいせん)の九二串(さし)であった。
 そこで彼等は眼を皿のようにして阿Qを見た。絹袴が無い時には、絹袴の出物は無いかと彼に訊(たず)ねてみたく思った。瓦斯織の単衣(ひとえ)がほしい時には、瓦斯織の単衣の出物は無いかと彼に訊ねてみたく思った。今度は阿Qを見ても逃げ込まないで、かえって阿Qのあとを追馳(おいか)けて、袖を引止めた。
「阿Q、お前はもっと外(ほか)に絹袴を持っているだろう。え、無いって。わたしは単衣物もほしいんだよ。あるだろう」
 あとではこの様なことが、端近い女部屋から終(つい)に奥深い女部屋に伝わった。鄒七嫂は嬉しさの余り彼の絹袴を趙太太(ちょうたいたい)の処へ持って行ってお目利きをねがった。趙太太はまたこれを趙太爺に告げて一時すこぶる真面目になって話をしたので、趙太爺は晩餐の卓上秀才太爺(息子)と討論した。阿Qは全くどうも少し怪しい。われわれの戸締もこれから注意しなければならんが、しかし彼の品物で、まだ買ってやっていいようなものがあるかもしれないと想った。殊に趙太太は直段(ねだん)が安くて品物がいい皮の袖無しが欲しいと思っていた時だから、遂に家族は決議して鄒七嫂にたのんで阿Qをすぐに喚んで来いと言った。かつこれがために第三の例外をひらいてこの晩特にしばらく燈(あかり)をつけることを許された。
 油は残り少くなったが阿Qはまだ到著しなかった。趙家の内の者は皆待ち焦れて、欠伸をして阿Qの気紛(きまぐ)れを恨み、鄒七嫂のぐうたらを怨んだ。趙太太は春の一件があるので来ないかもしれないと心配したが、趙太爺は、そんなことはない、乃公がよべばきっと来ると思った。果して趙太爺の見識は高かった。阿Qは結局鄒七嫂のあとへ跟いて来た。
「この人はただ無い無いとばかし言っているんですが、そんならじかに話してくれとわたしは言ったんです。彼は何とかいうにちがいありません。わたしも言います――」鄒七嫂は息をはずませていた。
「太爺!」阿Qは薄笑いしながら簷下(のきした)に立っていた。
「阿Q、お前、だいぶんお金を儲けて来たという話だが」と趙太爺はそろそろ近寄って阿Qの全身を目分量した。
「何しろ結構なこった。そこで......噂によるとお前は古著(ふるぎ)をたくさん持っているそうだが、ここへ持って来て見せるがいい......外(ほか)でもない、乃公も欲しいと思っているんだ......」
「鄒七嫂にも話した通りですが、皆売切れました」
「売切れた!」趙太爺の声は調子が脱(はず)れた。「どうしてそんなに早く売切れたのだ!」
「あれは友達の物で、品数もあんまり多くは無いのですが、少しばかり分けてやったんです」
「そんなことを言っても、まだいくらかあるに違いない」
「たった一枚幕が残っております」
「幕でもいいから持って来てお見せ」と趙太太は慌てて言った。
「そんな物はあしたでもいいや」趙太爺はさほど熱心でもなかった。「阿Q、これからなんでも品物がある時には、まず、乃公の処へ持って来て見せるんだぞ」
「値段は決してほかの家(うち)よりすくなく出すことはない」秀才は言った。
 秀才の奥さんはチラリと阿Qの顔を見て彼が感動したかどうかを窺(うかが)った。
「わたしは皮の袖無しが一枚欲しいのだが」と趙太太は言った。
 阿Qは応諾しながらも不承々々に出て行ったから、気にとめているかどうかしらん。これは趙太爺を非常に失望させ、腹が立って気掛りで欠伸がとまってしまうくらいであった。秀才太爺も阿Qの態度に非常な不平を抱き、この「忘八蛋(ワンパダン)」警戒する必要がある。いっそ村役人に吩咐(いいつ)けてこの村に置かないことにしてやろうと言ったが、趙太爺は、そりゃ好(よ)くないことだと思った。そうすれば怨みを受けることになる。ましてああいうことをする奴は大概「老いたる鷹は、巣の下の物を食わない」のだから、この村ではさほど心配するには及ぶまい。ただ自分の家(うち)だけ夜の戸締を少々厳重にしておけばいい。
 秀才もこの「庭訓」には非常に感心してすぐに阿Q追放の提議を撤囘(てっかい)し、また鄒七嫂にも言い含めて、決してこのようなことを人に洩らしてくれるな、と言った。
 けれど鄒七嫂は次の日あの藍袴を黒色に染め替えて阿Qの疑うべき節を言い布(ふ)らして歩いた。確かに彼女は秀才の阿Q駆逐の一節を持ち出さなかったが、これだけでも阿Qに取っては非常に不利益であった。最先(まっさ)きに村役人が尋ねて来て、彼の幕を奪った。阿Qは趙太太に見せる約束をしたと言ったが、村役人はそれを返しもせずになお毎月(まいげつ)何ほどかの附届(つけとど)けをしろと言った。それから村の人も彼に対してたちまち顔付を改めた。疎略なことはするわけもないがかえってはなはだ遠ざかる気分があった。この気分は前に彼が酒屋の中で「ぴしゃり」と言った時の警戒とは別種のものであった。「敬して遠ざかる」ような分子がずいぶん多(おお)まじっていた。
 閑人の中には阿Qの奥底を根掘り葉掘り探究する者があった。阿Qは包まず隠さず自慢らしく彼の経験談をはなした。
 阿Qは小さな馬の脚に過ぎなかった。彼は垣の上にあがることも出来なければ、洞(あな)の中に潜ることも出来なかった。ただ外に立って品物を受取った。ある晩彼は一つの包(つつみ)を受取って相棒がもう一度入ると、まもなく中で大騒ぎが始まった。彼はおぞけをふるって逃げ出し、夜どおし歩いて終に城壁を乗り越え未荘に帰って来た。彼はこんなことは二度とするものでないと誓った。この弁明は阿Qに取ってはいっそう不利益であった。村の人の阿Qに対して「敬して遠ざかる」ものは仕返しがこわいからだ、ところが彼はこれから二度と泥棒をしない泥棒に過ぎないのだ。してみると「これもまた畏るるに足らない」ものだった。

第七章 革命

 宣統(せんとう)三年九月十四日――すなわち阿Qが搭連を趙白眼に売ってやったその日――真夜中過ぎに一つの大きな黒苫(くろとま)の船が趙屋敷の河添いの埠頭に著いた。この船は黒暗(くらやみ)の中に揺られて来た。村人はぐっすり寝込んでいたので、皆知らなかった。出て行(ゆ)く時は明け方近かったがそれがかえって人目を引いた。こっそり調べ出した結果に拠ると、船は結局挙人老爺の船であると知れた。
 この船はとりもなおさず大不安を未荘に運んでくれて、昼にもならぬうちに全村の人心は非常に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけはそうとは言わず、あれは詰らぬガラクタ道具や襤褸(ぼろ)著物を入れた箱で挙人老爺が保管を頼んで来たが、趙太爺が突返してしまったんですと言った。実際挙人老爺と趙秀才はもとからあんまり仲のいい方ではないので「しん身の泣き寄り」などするはずがない。まして鄒七嫂は趙家の隣にいるので見聞(けんもん)が割合に確実だ。だから大概彼女の言うことには間違いがない。
 そういうものの、謡言(ようげん)はなかなか盛んだ。挙人老爺は自身来たわけではないが長い手紙を寄越して趙家と「仲直り」をしたらしい。趙太爺は腹の中が一変して、どうしても彼に悪い処がないと感じたので箱を預り、現に趙太太の床(とこ)の下を塞いでいる。革命党のことについては、彼等はその晩城に入って、どれもこれも白鉢巻、白兜で、崇正(すうせい)皇帝の白装束を著ていたという。
 阿Qの耳朶の中にも、とうから革命党という話を聞き及んで、今年また眼(ま)ぢかに殺された革命党を見た。彼はどこから来たかしらん、[#「、」は底本では「。」]一種の意見を持っていた。革命党は謀反人だ、謀反人は俺はいやだ、悪(にく)むべき者だ、断絶すべき者だ、と一途にこう思っていた。ところが百里の間に名の響いた挙人老爺がこの様に懼(おそ)れたときいては、彼もまたいささか感心させられずにはいられない。まして村鳥のような未荘の男女が慌て惑う有様は、彼をしていっそう痛快ならしめた。
「革命も好(よ)かろう」と阿Qは想った。
「ここらにいる馬鹿野郎どもの運命を革(あらた)めてやれ。恨むべき奴等だ。憎むべき奴等だ......そうだ、乃公も革命党に入ってやろう」
 阿Qは近来生活の費用に窘(くる)しみ内々かなりの不平があった。おまけに昼間飲んだ空(す)き腹(ばら)の二杯の酒が、廻れば廻るほど愉快になった。そう思いながら歩いていると、身体がふらりふらりと宙に浮いて来た。どうした機(はずみ)か、ふと革命党が自分であるように思われた。未荘の人は皆彼の俘虜(とりこ)となった。彼は得意のあまり叫ばずにはいられなかった。
「謀反だぞ、謀反だぞ」
 未荘の人は皆恐懼(きょうく)の眼付で彼を見た。こういう風な可憐な眼付は、阿Qは今まで見たことがなかった。ちょっと見たばかりで彼は六月氷を飲んだようにせいせいした。彼はいっそう元気づいて歩きながら怒鳴った。
「よし、......乃公がやろうと思えばやるだけの事だ。乃公が気に入った奴は気に入った奴だ。
 タッタ、ヂャンヂャン。
 後悔するには及ばねえ。酔うて錯(あやま)り斬る鄭賢弟(ていけんてい)。
 後悔するには及ばねえ。ヤーヤーヤー.........
 タッタ、ヂャンヂャン、ドン、ヂャラン、ヂャン。
 乃公は鉄の鞭でてめえ達を叩きのめすぞ......」
 趙家の二人の旦那と本家の二人の男は、表門の入口に立って革命のことで大論判(だいろっぱん)していた。阿Qはそれに目も呉れず頭をもちゃげてまっすぐに過ぎ去った。
「ドンドン......」
「Q(キュー)さま」と趙太爺はおずおずしながら小声で彼を喚びとめた。
「ヂャンヂャン」阿Qは彼の名前の下に、「さま」という字が繋がって来ようとは、まさか思いも依らなかった[#「依らなかった」は底本では「依ら「なかった」]。これは外の話で自分と関係がないと思ったから、ただ「ドンチャン、ドンチャン、ヂャラン、ヂャンヂャン」と言っていた。
「Qさん」
「思切ってやっつけろ......」
「阿Q!」秀才は仕方なしにもとの通りにその名を喚んだ。
 阿Qはようやく立ちどまって首をかしげて訊いた。「なんだね」
「Qさま......当節は......」と趙太爺は口を切ったが、言い出す言葉もなかった。「当節は......素晴らしいもんだね」
「素晴らしいと? あたりまえよ。何をしようが乃公の勝手だ」
「......Q、わしのような貧乏仲間は大丈夫だろうな」と趙白眼はこわごわ訊いた。革命党の口振りを探るつもりであったらしい。
「貧乏仲間? てめえは乃公より金があるぞ」阿Qはそう言いながらすぐに立去った。
 みんな萎れ返って物も言わない。趙家の親子は家(うち)に入って灯(ひ)ともしごろまで相談した。趙白眼も家(いえ)に帰るとすぐに腰のまわりの搭連をほどいて女房に渡し、[#「渡し、」は底本では「渡し」]箱の中に蔵(おさ)めた。
 阿Qは一通りぶらぶら飛び廻って土穀祠(おいなりさま)に帰って来ると、もう酔(よい)は醒めてしまった。
 その晩、廟祝(みやばん)の親父も意外の親しみを見せて阿Qにお茶を薦めた。阿Qは彼に二枚の煎餅をねだり、食べてしまうと四十匁(め)蝋燭の剰(あま)り物を求めて燭台を借りて火を移し、自分の小部屋へ持って行ってひとり寝た。彼は言い知れぬ新しみと元気があった。蝋燭の火は元宵(げんしょう)(正月)の晩のようにパチパチと撥(は)ね迸(ほとばし)ったが、彼の思想も火のように撥ね迸った。
「謀反? 面白いな......来たぞ来たぞ。一陣の白鉢巻、白兜、革命党は皆ダンビラをひっさげて鋼鉄の鞭、爆弾、大砲、菱形に[#「菱形に」は底本では「萎形に」]尖った両刃の劒(けん)、鎖鎌。土穀祠(おいなりさま)の前を通り過ぎて『阿Q、一緒に来い』と叫んだ。そこで乃公は一緒に行(ゆ)く、この時未荘の村烏(むらがらす)、一群の男女こそは、いかにも気の毒千万だぜ。『阿Q、命だけはどうぞお赦(ゆる)し下さいまし』誰が赦してやるもんか。まず第一に死ぬべき奴は小Dと趙太爺だ。その外秀才もある。偽毛唐もある。......残る奴ばらは何本ある? 王(ワン)なんて奴は残してやるべき筋合の者だが、まあどうでもいいや......」
「品物は......すぐに入り込んで箱を開けるんだ。元宝(げんほう)、銀貨、[#「銀貨、」は底本では「銀貨」]モスリンの著物......秀才婦人の寝台をまずこの廟(おみや)の中へ移して、そのほか錢家の卓と椅子。あるいは趙家の物でもいい。自分は懐ろ手して小Dなどは顎でつかい、おい、早くやれ。愚図々々するとぶんなぐるぞ」
「趙司晨の妹はまずい。鄒七嫂の小娘は二三年たってから話をしよう。偽毛唐の女房は辮子の無い男と寝てやがる、はッ、こいつはたちが好(よ)くねえぞ。秀才の女房は眼蓋(まぶた)の上に疵(きず)がある――しばらく逢わないが呉媽はどこへ行ったかしらんて......惜しいことにあいつ少し脚が太過ぎる」
 阿Qは彼の胸算用がすっかり片づかぬうちにもう鼾をかいた。四十匁蝋燭は燃え残って五分ほどになり、赤々と燃え上る火光(かこう)は、彼の開け放しの口を照した。
「すまねえ、すまねえ」阿Qはたちまち大声上げて起き上った。頭を挙げてきょろきょろあたりを見廻して四十匁蝋燭に目をつけると、すぐにまた頭をおろして睡(ねむ)ってしまった。
 次の日彼は遅く起きて往来に出てみたが、何もかも元の通りであった。彼はやっぱり肚が耗(へ)っていた。彼は何か想っていながら想い出すことが出来なかった。たちまち何かきまりがついたような風で、のそりのそりと大跨に歩き出した。そうして有耶無耶のうちに靜修庵(せいしゅうあん)についた。
 庵は春の時と同じような静けさであった。白壁と黒門、彼はちょっと思案して前へ行って門を叩いた。一疋(いっぴき)の狗が中で吠えた。彼は急いで瓦のカケラを拾い上げ、もう一度前へ行って、今度は力任せにぶっ叩いて黒門の上に幾つも痘瘡(あばた)が出来た時、ようやく人の出て来る足音がした。
 阿Qは慌てて瓦を持ちなおし馬のように足をふんばって、黒狗と開戦の準備をした。だが庵門はただ一すじの透間(すきま)をあけたのみで、黒狗が飛び出すことはないと見たので、近寄って行(ゆ)くと、そこに一人の老いたる尼がいた。
「お前はまた来たのか。何の用だえ」と尼は呆れ返っていた。
「革命だぞ。てめえ知っているか」と阿Qは口籠(くちごも)った。
「革命、革命とお言いだが、革命は一遍済んだよ。......お前達は何だってそんな騒ぎをするんだえ」尼は眼のふちを赤くしながら言った。
「何だと?」阿Qは訝(いぶか)った。
「お前はまだ知らないのだね。あの人達はもう革命を済ましたよ」
「誰だ?」阿Qは更に訝った。
「秀才と偽毛唐さ」
 阿Qは意外のことにぶっつかってわけもなく面喰った。尼は彼の出鼻をへし折って隙(すか)さず門を閉めた。阿Qはすぐに押し返したが固く締っていた。もう一度叩いてみたが返辞もしない。
 これもやっぱりその日の午前中の出来事だった。機を見るに敏なる趙秀才は革命党が城内に入ったと聞いて、すぐに辮子を頭の上に巻き込み、今までずっと仲悪(なかわる)で通したあの錢毛唐(せんけとう)の処へ御機嫌伺いに行った。これは「みなともに維(こ)れ新たなり」の時であるから、彼等は話が弾んで立ちどころに情意投合の同志となり、互に相約して革命に投じた。
 彼等はいろいろ想い廻して、やっと想い出したのは靜修庵の中の「皇帝万歳万、万歳!」の一つの竜牌(りゅうはい)だ。これこそすぐにも革擲(かくてき)すべきものだと思ったから、二人は時を移さず靜修庵に行(ゆ)くと、老いたる尼が邪魔をしたので、彼等は尼を満州政府と見做し、頭の上に少からざる棍棒と鉄拳を加えた。尼は彼等が帰ったあとで気を静めてよく見ると、竜牌はすでに已(すで)に砕けて地上に横たわっているのはもっともだが、観音様の前にあった一つの宣徳炉(せんとくろ)が見当らないのが不思議だ。
 阿Qはあとでこの事を聞いてすこぶる自分の朝寝坊を悔んだ。それにしても彼等が阿Qを誘わなかったのは奇ッ怪千万である。阿Qは一歩退(しりぞ)いて考えた。
「彼等が、今まで知らずにいるはずはない。阿Qは已に革命党に投じているのじゃないか」

第八章 革命を許さず

 未荘の人心は日々に安静になり、噂に拠れば革命党は城内に入ったが、何も格別変ったことがない。知県(ちけん)様はやっぱり元の位置にいて何か名目が変っただけだ。挙人老爺は何になったか――これ等の名目は未荘の人には皆わからなかった。――お上が兵隊を連れて来ることは、これも前からいつもあることで、格別不思議なことでもないが、ただ一つ恐ろしいのは、ほかに幾らか不良分子が交(まじ)っていて内部の擾乱(じょうらん)を計っていることだ。そうして二言目には手を動かして辮子を剪(き)った。聴けば隣村の通い船を出す七斤は途中で引掴まって、人間らしくないような体裁にされてしまったが、それさえ大した恐怖の数に入らない。未荘の人は本来城内に行(ゆ)くことは少いのに、たまたま行(ゆ)く用事があっても差控えてしまうから、この危険にぶつかる者も少い。阿Qも城内に行って友達に逢いたいと思っていたが、この話を聞くとやめなければならない。
 だが未荘の人も改革なしでは済まされなかった。幾日の後、辮子を頭に巻込む者が逐漸(ちくぜん)増加した。手ッ取り早く言うと一番最初が茂才公(もさいこう)だ。その次が趙司晨と趙白眼だ。後では阿Qだ。これがもし夏ならば、辮子を頭の上に巻込み、あるいは一つのかたまりにするのはもとより何も珍らしい事ではないが、今は秋の暮で、この特別の歳時記が行われたのは、辮子を巻込んだ連中に取っては非常な英断と言わなければならない。未荘としてはこれもまた改革の一つでないということは出来ない。
 趙司晨は頭の後ろを空坊主にして歩いた。これを見た人は大きな声を出して言った。
「ほう、革命党が来たぞ」
 阿Qは非常に羨しく思った。彼はとうから秀才が辮子をわがねたというニウスを聞いていたが、自分がその様な事をしていいかという事について少しも思い及ばなかった。現在趙司晨がこうなってみると、急に真似てみたくなって実行の決心をきめた。彼は一本の竹箸に辮子を頭の上にわがね、しばらくためらっていたが、思切って外へ出た。
 彼が往来に出ると、人は皆彼を見るには見るが何にも言わない。阿Qは初め不快に感じてあとになるとだんだん不平が高じて来た。彼は近頃怒りッぽくなった。実際彼の生活は謀叛前よりはよほど増しだ。人は彼を見ると遠慮して、どこの店でも現金は要らないという、だが阿Qは結局少からざる失望を感じた。もう革命を済ましたのに、こんなわけはないはずだ。そうして一度小Dを見るといよいよ彼の肚の皮が爆発した。
 小Dもまた頭の上に辮子をわがねた。しかもかつあきらかに一本の竹箸を挿していた。阿Qはこんなことを彼が仕出かそうとは全く思いも依らぬことだった。自分としてもまた彼がこのような事するのは決して許されない。小Dは何者だろう? 阿Qはすぐにも小Dに引掴んで、彼の竹箸を捻じ折り、彼の辮子をほかして、うんと横面を引ッぱたいて、彼が生年月日時の八字を忘れ、図々しくも革命党に入って来た罪を懲らしめてやりたくなって溜らなくなったが、結局それも大目に見て、ベッと唾を吐き出し、ただ睨みつけていた。
 この幾日の間、城内に入ったのは偽毛唐一人だけであった。趙秀才は箱を預ったことから、自身挙人老爺を訪問したくは思っていたが、辮子を剪られる危険があるので中止した。彼は一封の「黄傘格(こうさんかく)」の手紙(柿渋引(かきしぶびき)の方罫紙(ほうまいし)?)を書いて、偽毛唐に託して城内に届けてもらい、自分を自由党に紹介してくれと頼んだ。偽毛唐が帰って来た時には、秀才は四元の銀を払って胸の上に銀のメダルを掛けた。未荘の人は皆驚嘆した。これこそ柿油党(すーゆーたん)(自由と同音、柿渋(かきしぶ)は防水のため雨傘に引く、前の黄傘格に対す)の徽章(きしょう)で翰林(かんりん)を抑えつけたんだと思っていた。趙太爺は俄(にわか)に肩身が広くなり倅が秀才に中(あた)った時にも増して目障りの者が無い。阿Qを見ても知らん顔をしている。
 阿Qは不平の真最中に時々零落を感じた。銀メダルの話を聴くと彼はすぐに零落の真因を悟った。革命党になるのには、投降すればいいと思っていたが、それが出来ない。辮子を環(わが)ねればいいと思ったがそれも駄目だ。第一、革命党に知合がなければいけないのだが、彼の知っている革命党はたった二つしか無かった。その一つは城内でバサリとやられてしまった。今はただ偽毛唐一人を知っているだけで、その毛唐の処へ、相談に行(ゆ)くより外は無かった。
 錢家の大門は開け拡げてあった。阿Qは、おっかなびっくり入って行った。彼は中へ入りかけて非常に驚いたのは、偽毛唐がちょうど広場のまん中に突立って、真黒な洋服を著て、銀メダルを附けて、手にはかつて阿Qを懲らしめたステッキを持って、一尺余りの辮子を披(ひら)いて方の上に振り下げ、まるで蓬々髪(ほうほうがみ)の劉海(りゅうはい)仙人のような恰好で立っていたのだ。向き合って立っていたのは、趙白眼の外三人の閑人で、ちょうど今恭々しくお話を伺っているところだ。
 阿Qはこっそり近寄って趙白眼の後ろに立ち、心の中ではお引立に預かろうと思っているんだが、さて何と言ったらいいものか、言い出す言葉を知らなかった。
 彼を偽毛唐というのはもとより好くないことだ。西洋人も穏かでない。革命党も穏かでない。洋先生(やんしいさん)といえばあるいはいいかもしれない。
 洋先生は眼を白黒して、ちょうど講義の真最中であったから、阿Qに眼も呉れない。
「乃公はせっかちだから顔を見るとすぐに言った。洪(こう)君! われわれは著手(ちゃくしゅ)しよう。しかし彼は結局 No(ノー) と言った。これは洋語だからお前達には分らない。そうでなければもっと早く成功したんだぞ。とにかく、これは彼が大事を取って仕事をした方面なんだ。彼等は再三再四湖北に行ってくれと乃公に頼んだが、乃公はそれでも承知しないくらいだ。誰がこんな小っぽけな県城の中で事を起そうと願う奴があるもんか......」
「えーと、こーつ」阿Qは彼の話が途切れたひまに精一杯の勇気を振起(ふりおこ)して口をひらいた。だが、どうしたわけか洋先生と、彼を喚ぶことが出来なかった。
 話を聴いていた四人の者は喫驚(びっくり)して阿Qの方を見た。洋先生もようやく彼に目をとめた。
「何だ」
「わたし......」
「出て行(ゆ)け」
「わたしも......に入りたい」
「生意気いうな。ころがり出ろ」と洋先生は人泣かせ棒を振上げた。
 趙白眼と閑人は口を揃えて怒鳴った。
「先生がころがり出ろと被仰(おっしゃ)るのに、てめえは肯(き)かねえのか」
 阿Qは頭の上に手を翳(かざ)して、覚えず知らず門外に逃げ出した。洋先生は追い馳けても来なかった。阿Qは六十歩余りも馳け出してようやく歩みを弛(ゆる)め心の中で憂愁を感じた。洋先生が彼に革命を許さないとすると、外に仕様がない。これから決して白鉢巻、白兜の人が彼を迎えに来るという望(のぞみ)を起すことが出来ない。彼が持っていた抱負、志向、希望、前途がただ一筆で棒引されてしまった。閑人のお布(ふ)れが行届(ゆきとど)いて、小D、王※[#「髟/胡」、U+9B0D、175-12]などに話の種を呉れたのは、やっぱり今度の事であった。
 彼はこのような所在なさを感じたことは今まで無いように覚えた。彼は自分の辮子を環(わが)ねたことについて[#「ことについて」は底本では「ことついて」]無意味に感じたらしく、侮蔑をしたくなって復讎の考(かんがえ)から、立ちどころに辮子を解きおろそうとしたが、それもまた遂にそのままにしておいた。彼は夜になって遊びに出掛け、二杯の酒を借りて肚の中に飲みおろすと、だんだん元気がついて来て、思想の中に白鉢巻、白兜のカケラが出現した。
 ある日のことであった。彼は常例に依り夜更けまでうろつき廻って、酒屋が戸締をする頃になってようやく土穀祠(おいなりさま)に帰って来た。
「パン、パン」
 彼はたちまち一種異様な音声をきいたが爆竹では無かった。一たい彼は賑やかな事が好きで、下らぬことに手出しをしたがる質(たち)だから、すぐに暗(やみ)の中を探って行(ゆ)くと、前の方にいささか足音がするようであった。彼は聴耳(ききみみ)立てていると、いきなり一人の男が向うから逃げて来た。彼はそれを見るとすぐに跡に跟いて馳け出した。その人が曲ると阿Qも曲った。曲ってしまうとその人は立ちどまった。阿Qもまた立ちどまった。阿Qは後ろを見ると何も無かった。そこで前へ向って人を見ると小Dであった。
「何だ」阿Qは不平を起した。
「趙......趙家がやられた。[#「。」は底本では「。。」]掠奪......」小Dは息をはずませていた。
 阿Qも胸がドキドキした。小Dはそう言ってしまうと歩き出した。阿Qはいったん逃げ出したものの、結局「その道の仕事をやった」事のある人だから殊の外度胸が据(すわ)った。彼は路角(みちかど)に躄(いざ)り出て、じっと耳を澄まして聴いていると何だかざわざわしているようだ。そこでまたじっと見澄ましていると白鉢巻、白兜の人が大勢いて、次から次へと箱を持出し、器物を持出し、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台(ねだい)をもち出したようでもあったがハッキリしなかった。
 彼はもう少し前へ出ようとしたが両脚が動かなかった。
 その夜(よ)は月が無かった。未荘は暗黒の中に包まれてはなはだしんとしていた。しんとしていて羲皇(ぎこう)の頃のような太平であった。阿Qは立っているうちにじれったくなって来たが、向うではやはり前と同じように、往ったり来たりしているらしく、箱を持ち出したり器物を持ち出したり、秀才夫人の寧波(ニンポウ)寝台を持ち出したり......
 持ち出したと言っても、彼は自分でいささか自分の眼を信じなかった。それでも一歩前へ出ようとはせず、結局自分の廟(おみや)の中に帰って来た。
 土穀祠(おいなりさま)の中は、いっそうまっ闇(くら)だった。彼は大門をしっかり締めて、手探りで自分の部屋に入り、横になって考えた。こうして気を静めて自分の思想の出どころを考えてみると、白鉢巻、白兜の人は確かに著(つ)いたが、決して自分を呼び出しには来なかった。いろんないい品物は運び出されたが、自分の分け前はない。これは全く偽毛唐が悪いのだ。彼は乃公に謀叛を許さない。謀叛を許せば、今度乃公の分け前がないことはないじゃないか? 阿Qは思えば思うほど、イライラして来て耐(こら)え切れず、おもうさま怨んで毒々しく罵った。
「乃公には謀叛を許さないで、自分だけが謀叛するんだな。馬鹿、偽毛唐! よし、てめえが謀叛する。謀叛すれば首が無いぞ。乃公はどうしても訴え出てやる。てめえが県内に引廻されて首の無くなるのを見てやるから覚えていろ。一家一族皆殺しだ。すぱり、すぱり」

第九章 大団円

 趙家が掠奪に遭ってから、未荘の人は大抵みな小気味よく思いながら恐慌を来(きた)した。阿Qもまたいい気味だと思いながら内々恐れていると、四日過ぎての真夜中に彼はたちまち城内につまみ出された。その時はしんの闇夜で、一隊の兵士と一隊の自衛団と一隊の警官と五人の探偵がこっそり未荘に到著して闇に乗じて土穀祠(おいなりさま)を囲み、門の真正面に機関銃を据えつけたが、阿Qは出て来なかった。
 しばらくの間、様子が皆目知れないので、彼等は焦らずにはいられなかった。そこで二万銭の賞金を懸けて二人の自衛団が危険を冒してやっとこさと垣根を越えて、内外相応じて一斉に闖入(ちんにゅう)し、阿Qを抓(つま)み出して廟(おみや)の外の機関銃の左側に引据えた。その時彼はようやくハッキリ眼が醒めた。
 城内に著いた時には已に正午であった。阿Qは自分で自分を見ると、壊れかかったお役所の中に引廻され、五六遍曲ると一つの小屋があって、彼はその中へ押し込められた。彼はちょっとよろけたばかりで、丸太を整列した門が彼の後ろを閉じた。その他の三方はキッタテの壁で、よく見ると室(へや)の隅にもう二人いた。
 阿Qはずいぶんどぎまぎしたが、決して非常な苦悶ではなかった。それは土穀祠(おいなりさま)の彼の部屋はこの部屋よりも決してまさることは無かったからだ。そこにいた二人は田舎者らしく、だんだん懇意になって話してみると、一人は挙人老爺の先々代に滞っていた古い地租の追徴であった。もう一人は何のこったか好く解らなかった。彼等は阿Qにわけを訊くと、阿Qは臆面なく答えた。「乃公は謀叛を起そうと思ったからだ」
 阿Qは午後から丸太の門の外へ引きずり出され大広間に行った。正面の高いところにくりくり坊主の親爺が一人坐していた。阿Qはこの人は坊さんかもしれないと思って、下の方を見ると、兵隊が整列して、両側に長い著物を著た人が十幾人も立っていた。その中にはイガ栗坊主の親爺もいるし、一尺ばかり髪を残して後ろの方に披(さば)いていた偽毛唐によく似た奴もあった。彼等は皆同じような仏頂面で目を怒らして阿Qを見た。阿Qはこりゃあきっとお歴々に違いないと思ったから、膝の関節が自然と弛んでべたりと地べたに膝をついた。
「立って物を言え、膝を突くな」と長い著物の人は一斉に怒鳴った。
 阿Qは承知はしているが、どうしても立っていることが出来ない。我れ知らず身体(からだ)が縮こまってその勢(いきおい)に押されて揚句(あげく)の果ては膝を突いてしまう。
「奴隷根性!......」と長い著物を著た人はさげすんでいたようだが、その上立てとも言わなかった。
「お前は本当にやったんだろうな。ひどい目に遭わぬうちに言ってしまえ。乃公はもうみんな知っているぞ。やったならそれでいい。放してやる。」とくりくり坊主の親爺は、阿Qの顔を見詰めて物柔かにハッキリ言った。
「やったんだろう」と長い著物を著た人も大声で言った。
「わたしはとうから......来ようと思っていたんです......」阿Qはわけも分らず一通り想い廻して、やっとこんな言葉をキレギレに言った。
「そんならなぜ来なかったの」と親爺はしんみりと訊いた。
「偽毛唐が許さなかったんです」
「を吐(つ)け。この場になってもう遅い。お前の仲間は今どこにいる」
「何でげす?」
「あの晩、趙家を襲った仲間だ」
「あの人達は、わたしを喚びに来ません。あの人達は、自分で運び出しました」阿Qはその話が出ると憤々(ぷんぷん)した。
「持ち出してどこへ行ったんだ。話せば赦(ゆる)してやるよ」親爺はまたしんみりとなった。
「わたしは知りません。......あの人達はわたしを呼びに来ません」
 そこで親爺は目遣(めつか)いをした。阿Qはまた丸太格子の中に抛(ほう)り込まれた。彼が二度目に同じ格子の中から引きずり出されたのは二日目の午前であった。
 大広間の模様は皆もとの通りで、上座には、やはりくりくり坊主の親爺が坐して、阿Qは相変らず膝を突いていた。
 親爺はしんみりときいた。「お前はほかに何か言うことがあるか」
 阿Qはちょっと考えてみたが、別に言う事もないので「ありません」と答えた。
 そこで一人の長い著物を著た人は、一枚の紙と一本の筆を持って、阿Qの前に行(ゆ)き、彼の手の中に筆を挿し込もうとすると、阿Qは非常におったまげて魂も身に添わぬくらいに狼狽した。彼の手が筆と関係したのは今度が初めてで、どう持っていいか全くわからない。するとその人は一箇所を指(ゆびさ)して花押(かきはん)の書き方を教えた。
「わたし、......わたしは......字を知りません」阿Qは筆をむんずと掴んで愧(はず)かしそうに、恐る恐る言った。
「ではお前のやりいいように丸でも一つ書くんだね」
 阿Qは丸を書こうとしたが筆を持つ手が顫えた。そこでその人は彼のために紙を地上に敷いてやり、阿Qはうつぶしになって一生懸命に丸を書いた。彼は人に笑われちゃ大変だと思って正確に丸を書こうとしたが、悪(にく)むべき筆は重く、ガタガタ顫えて、丸の合せ目まで漕ぎつけると、ピンと外へ脱(はず)れて瓜のような恰好になった。
 阿Qは自分の不出来を愧かしく思っていると、その人は一向平気で紙と筆を持ち去り、大勢の人は阿Qを引いて、もとの丸太格子の中に抛り込んだ。
 彼は丸太格子の中に入れられても格別大して苦にもしなかった。彼はそう思った。人間の世の中は大抵もとから時に依ると、抓み込まれたり抓み出されたりすることもある。時に依ると紙の上に丸を書かなければならぬこともある。だが丸というものがあって丸くないことは、彼の行いの一つの汚点だ。しかしそれもまもなく解ってしまった、孫子であればこそ丸い輪が本当に書けるんだ。そう思って彼は睡りに就いた。
 ところがその晩挙人老爺はなかなか睡れなかった。彼は少尉殿と仲たがいをした。挙人老爺は贓品(ぞうひん)の追徴が何よりも肝腎だと言った、少尉殿はまず第一に見せしめをすべしと言った。少尉殿は近頃一向挙人老爺を眼中に置かなかった。卓(つくえ)を叩き腰掛を打って彼は説いた。
「一人を槍玉に上げれば百人が注意する。ねえ君! わたしが革命党を組織してからまだ二十日(はつか)にもならないのに、掠奪事件が十何件もあってまるきり挙らない。わたしの顔がどこに立つ? 罪人が挙っても君はまだ愚図々々している。これが旨く行(ゆ)かんと乃公の責任になるんだよ」
 挙人老爺は大(おおい)に窮したが、なお頑固に前説を固持して贓品の追徴をしなければ、彼は即刻民政の職務を辞任すると言った。けれど少尉殿はびくともせず、「どうぞ御随意になさいませ」と言った。
 そこで挙人老爺はその晩とうとうまんじりともしなかったが、翌日は幸い辞職もしなかった。
 阿Qが三度目に丸太格子から抓み出された時には、すなわち挙人老爺が寝つかれない晩の翌日の午前であった。彼が大広間に来ると上席にはいつもの通り、くりくり坊主の親爺が坐っていた。阿Qもまたいつもの通り膝を突いて下にいた。親爺はいとも懇(ねんご)ろに尋ねた。「お前はまだほかに何か言うことがあるかね」
 阿Qはちょっと考えたが別に言うこともないので、「ありません」と答えた。
 長い著物を著た人と短い著物を著た人が大勢いて、たちまち彼に白金巾(しろかたきん)の袖無しを著せた。上に字が書いてあった。阿Qははなはだ心苦しく思った。それは葬式の著物のようで、葬式の著物を著るのは縁喜(えんき)が好くないからだ。しかしそう思うまもなく彼は両手を縛られて、ずんずんお役所の外へ引きずり出された。
 阿Qは屋根無しの車の上に舁(かつ)ぎあげられ、短い著物の人が幾人も彼と同座して一緒にいた。
 この車は立ちどころに動き始めた。前には鉄砲をかついだ兵隊と自衛団が歩いていた。両側には大勢の見物人が口を開け放して見ていた。後ろはどうなっているか、阿Qには見えなかった。しかし突然感じたのは、こいつはいけねえ、首を斬られるんじゃねえか。
 彼はそう思うと心が顛倒(てんとう)して二つの眼が暗くなり、耳朶の中がガーンとした。気絶をしたようでもあったが、しかし全く気を失ったわけではない。ある時は慌てたが、ある時はまたかえって落著(おちつ)いた。彼は考えているうちに、人間の世の中はもともとこんなもんで、時に依ると首を斬られなければならないこともあるかもしれない、と感じたらしかった。
 彼はまた見覚えのある路を見た。そこで少々変に思った。なぜお仕置に行(ゆ)かないのか。彼は自分が引廻しになって皆に見せしめられているのを知らなかった。しかし知らしめたも同然だった。彼はただ人間世界はもともと大抵こんなもんで、時に依ると引廻しになって皆に見せしめなければならないものであるかもしれない、と思ったかもしれない。
 彼は覚醒した。これはまわり道してお仕置場にゆく路だ。これはきっとずばりと首を刎(は)ねられるんだ。彼はガッカリしてあたりを見ると、まるで蟻のように人が附いて来た。そうして図らずも人ごみの中に一人の呉媽を発見した。ずいぶんしばらくだった。彼女は城内で仕事をしていたのだ。彼はたちまち非常な羞恥を感じて我れながら気が滅入ってしまった。つまりあの芝居の歌を唱(うた)う勇気がないのだ。彼の思想はさながら旋風のように、頭の中を一まわりした。「若寡婦(わかごけ)の墓参り」も立派な歌ではない。「竜虎図」の「後悔するには及ばぬ」も余りつまらな過ぎた。やっぱり「手に鉄鞭(てつべん)を執ってキサマを打つぞ」なんだろう。そう思うと彼は手を挙げたくなったが、考えてみるとその手は縛られていたのだ。そこで「手に鉄鞭を執り」さえも唱(とな)えなかった。
「二十年過ぎればこれもまた一つのものだ......」阿Qはゴタゴタの中で、今まで言ったことのないこの言葉を「師匠も無しに」半分ほどひり出した。
「好(ハオ)※[#感嘆符三つ、186-6]」と人ごみの中から狼の吠声のような声が出た。
 車は停まらずに進んだ。阿Qは喝采の中に眼玉を動して呉媽を見ると、彼女は一向彼に眼を止めた様子もなくただ熱心に兵隊の背の上にある鉄砲を見ていた。
 そこで、阿Qはもう一度喝采の人を見た。
 この刹那、彼の思想はさながら旋風のように脳裏を一廻りした。四年前(ぜん)に彼は一度山下で狼に出遇(であ)った。狼は附かず離れず跟いて来て彼の肉を食(くら)おうと思った。彼はその時全く生きている空(そら)は無かった。幸い一つの薪割を持っていたので、ようやく元気を引起し、未荘まで持ちこたえて来た。これこそ永久に忘られぬ狼の眼だ。臆病でいながら鋭く、鬼火のようにキラめく二つの眼は、遠くの方から彼の皮肉を刺し通すようでもあった。ところが彼は今まで見た事もない恐ろしい眼付を更に発見した。鈍くもあるが鋭くもあった。すでに彼の話を咀嚼したのみならず、彼の皮肉以上の代物を噛みしめて、附かず離れずとこしえに彼の跡にくっついて来る。これ等の眼玉は一つに繋がって、もうどこかそこらで彼の霊魂に咬みついているようでもあった。
「助けてくれ」
 阿Qは口に出して言わないが、その時もう二つの眼が暗くなって、耳朶の中がガアンとして、全身が木端微塵に飛び散ったように覚えた。

 当時の影響からいうと最も大影響を受けたのは、かえって挙人老爺であった。それは盗られた物を取返すことが出来ないで、家(うち)じゅうの者が泣き叫んだからだ。その次に影響を受けたのは趙家であった。秀才は城内へ行って訴え出ると、革命党の不良分子に辮子を剪られた上、二万文の懸賞金を損したので家(うち)じゅうで泣き叫んだ。その日から彼等の間にだんだん遺老気質が発生した。
 輿論の方面からいうと未荘では異議が無かった。むろん阿Qが悪いと皆言った。ぴしゃりと殺されたのは阿Qが悪い証拠だ。悪くなければ銃殺されるはずが無い! しかし城内の輿論はかえって好くなかった。彼等の大多数は不満足であった。銃殺するのは首を斬るより見ごたえがない。その上なぜあんなに意気地のない死刑犯人だったろう。あんなに長い引廻しの中(うち)に歌の一つも唱(うた)わないで、せっかく跡に跟いて見たことが無駄骨になった。

(一九二一年十二月)

 
 
《阿Q正传》全文

  第一章 序

我要给阿Q做正传,已经不止一两年了。但一面要做,一面又往回想,这足见我不是一个“立言”⑵的人,因为从来不朽之笔,须传不朽之人,于是人以文传,文以人传——究竟谁靠谁传,渐渐的不甚了然起来,而终于归接到传阿Q,仿佛思想里有鬼似的。

然而要做这一篇速朽的文章,才下笔,便感到万分的困难了。第一是文章的名目。孔子曰,“名不正则言不顺”⑶。这原是应该极注意的。传的名目很繁多:列 传,自传,内传⑷,外传,别传,家传,小传……,而可惜都不合。“列传”么,这一篇并非和许多阔人排在“正史”⑸里;“自传”么,我又并非就是阿Q。说是 “外传”,“内传”在那里呢?倘用“内传”,阿Q又决不是神仙。“别传”呢,阿Q实在未曾有大总统上谕宣付国史馆立“本传”⑹——虽说英国正史上并无“博 徒列传”,而文豪迭更司⑺也做过《博徒别传》这一部书,但文豪则可,在我辈却不可。其次是“家传”,则我既不知与阿Q是否同宗,也未曾受他子孙的拜托;或 “小传”,则阿Q又更无别的“大传”了。总而言之,这一篇也便是“本传”,但从我的文章着想,因为文体卑下,是“引车卖浆者流”所用的话⑻,所以不敢僭 称,便从不入三教九流的小说家⑼所谓“闲话休题言归正传”这一句套话里,取出“正传”两个字来,作为名目,即使与古人所撰《书法正传》⑽的“正传”字面上 很相混,也顾不得了。

第二,立传的通例,开首大抵该是“某,字某,某地人也”,而我并不知道阿Q姓什么。有一回,他似乎是姓赵,但第二日便模糊了。那是赵太爷的儿子进了秀 才的时候,锣声镗镗的报到村里来,阿Q正喝了两碗黄酒,便手舞足蹈的说,这于他也很光采,因为他和赵太爷原来是本家,细细的排起来他还比秀才长三辈呢。其 时几个旁听人倒也肃然的有些起敬了。那知道第二天,地保便叫阿Q到赵太爷家里去;太爷一见,满脸溅朱,喝道:

“阿Q,你这浑小子!你说我是你的本家么?”

阿Q不开口。

赵太爷愈看愈生气了,抢进几步说:“你敢胡说!我怎么会有你这样的本家?你姓赵么?”

阿Q不开口,想往后退了;赵太爷跳过去,给了他一个嘴巴。

“你怎么会姓赵!——你那里配姓赵!”

阿Q并没有抗辩他确凿姓赵,只用手摸着左颊,和地保退出去了;外面又被地保训斥了一番,谢了地保二百文酒钱。知道的人都说阿Q太荒唐,自己去招打;他 大约未必姓赵,即使真姓赵,有赵太爷在这里,也不该如此胡说的。此后便再没有人提起他的氏族来,所以我终于不知道阿Q究竟什么姓。

第三,我又不知道阿Q的名字是怎么写的。他活着的时候,人都叫他阿Quei,死了以后,便没有一个人再叫阿Quei了,那里还会有“著之竹帛”⑾的 事。若论“著之竹帛”,这篇文章要算第一次,所以先遇着了这第一个难关。我曾仔细想:阿Quei,阿桂还是阿贵呢?倘使他号月亭,或者在八月间做过生日, 那一定是阿桂了;而他既没有号——也许有号,只是没有人知道他,——又未尝散过生日征文的帖子:写作阿桂,是武断的。又倘使他有一位老兄或令弟叫阿富,那 一定是阿贵了;而他又只是一个人:写作阿贵,也没有佐证的。其余音Quei的偏僻字样,更加凑不上了。先前,我也曾问过赵太爷的儿子茂才⑿先生,谁料博雅 如此公,竟也茫然,但据结论说,是因为陈独秀办了《新青年》提倡洋字⒀,所以国粹沦亡,无可查考了。我的最后的手段,只有托一个同乡去查阿Q犯事的案卷, 八个月之后才有回信,说案卷里并无与阿Quei的声音相近的人。我虽不知道是真没有,还是没有查,然而也再没有别的方法了。生怕注音字母还未通行,只好用 了“洋字”,照英国流行的拼法写他为阿Quei,略作阿Q。这近于盲从《新青年》,自己也很抱歉,但茂才公尚且不知,我还有什么好办法呢。

第四,是阿Q的籍贯了。倘他姓赵,则据现在好称郡望的老例,可以照《郡名百家姓》⒁上的注解,说是“陇西天水人也”,但可惜这姓是不甚可靠的,因此籍贯也就有些决不定。他虽然多住未庄,然而也常常宿在别处,不能说是未庄人,即使说是“未庄人也”,也仍然有乖史法的。

我所聊以自|慰的,是还有一个“阿”字非常正确,绝无附会假借的缺点,颇可以就正于通人。至于其余,却都非浅学所能穿凿,只希望有“历史癖与考据癖”的胡适之⒂先生的门人们,将来或者能够寻出许多新端绪来,但是我这《阿Q正传》到那时却又怕早经消灭了。

以上可以算是序。


第二章 优胜记略

阿Q不独是姓名籍贯有些渺茫,连他先前的“行状”⒃也渺茫。因为未庄的人们之于阿Q,只要他帮忙,只拿他玩笑,从来没有留心他的“行状”的。而阿Q自己也不说,独有和别人口角的时候,间或瞪着眼睛道:

“我们先前——比你阔的多啦!你算是什么东西!”

阿Q没有家,住在未庄的土谷祠⒄里;也没有固定的职业,只给人家做短工,割麦便割麦,舂米便舂米,撑船便撑船。工作略长久时,他也或住在临时主人的家 里,但一完就走了。所以,人们忙碌的时候,也还记起阿Q来,然而记起的是做工,并不是“行状”;一闲空,连阿Q都早忘却,更不必说“行状”了。只是有一 回,有一个老头子颂扬说:“阿Q真能做!”这时阿Q赤着膊,懒洋洋的瘦伶仃的正在他面前,别人也摸不着这话是真心还是讥笑,然而阿Q很喜欢。

阿Q又很自尊,所有未庄的居民,全不在他眼神里,甚而至于对于两位“文童”⒅也有以为不值一笑的神情。夫文童者,将来恐怕要变秀才者也;赵太爷钱太爷 大受居民的尊敬,除有钱之外,就因为都是文童的爹爹,而阿Q在精神上独不表格外的崇奉,他想:我的儿子会阔得多啦!加以进了几回城,阿Q自然更自负,然而 他又很鄙薄城里人,譬如用三尺三寸宽的木板做成的凳子,未庄人叫“长凳”,他也叫“长凳”,城里人却叫“条凳”,他想:这是错的,可笑!油煎大头鱼,未庄 都加上半寸长的葱叶,城里却加上切细的葱丝,他想:这也是错的,可笑!然而未庄人真是不见世面的可笑的乡下人呵,他们没有见过城里的煎鱼!

阿Q“先前阔”,见识高,而且“真能做”,本来几乎是一个“完人”了,但可惜他体质上还有一些缺点。最恼人的是在他头皮上,颇有几处不知于何时的癞疮 疤。这虽然也在他身上,而看阿Q的意思,倒也似乎以为不足贵的,因为他讳说“癞”以及一切近于“赖”的音,后来推而广之,“光”也讳,“亮”也讳,再后 来,连“灯”“烛”都讳了。一犯讳,不问有心与无心,阿Q便全疤通红的发起怒来,估量了对手,口讷的他便骂,气力小的他便打;然而不知怎么一回事,总还是 阿Q吃亏的时候多。于是他渐渐的变换了方针,大抵改为怒目而视了。

谁知道阿Q采用怒目主义之后,未庄的闲人们便愈喜欢玩笑他。一见面,他们便假作吃惊的说:哙,亮起来了。”

阿Q照例的发了怒,他怒目而视了。

“原来有保险灯在这里!”他们并不怕。

阿Q没有法,只得另外想出报复的话来:

“你还不配……”这时候,又仿佛在他头上的是一种高尚的光容的癞头疮,并非平常的癞头疮了;但上文说过,阿Q是有见识的,他立刻知道和“犯忌”有点抵触,便不再往底下说。

闲人还不完,只撩他,于是终而至于打。阿Q在形式上打败了,被人揪住黄辫子,在壁上碰了四五个响头,闲人这才心满意足的得胜的走了,阿Q站了一刻,心里想,“我总算被儿子打了,现在的世界真不像样……”于是也心满意足的得胜的走了。

阿Q想在心里的,后来每每说出口来,所以凡是和阿Q玩笑的人们,几乎全知道他有这一种精神上的胜利法,此后每逢揪住他黄辫子的时候,人就先一着对他说:

“阿Q,这不是儿子打老子,是人打畜生。自己说:人打畜生!”

阿Q两只手都捏住了自己的辫根,歪着头,说道:

“打虫豸,好不好?我是虫豸——还不放么?”

但虽然是虫豸,闲人也并不放,仍旧在就近什么地方给他碰了五六个响头,这才心满意足的得胜的走了,他以为阿Q这回可遭了瘟。然而不到十秒钟,阿Q也心 满意足的得胜的走了,他觉得他是第一个能够自轻自贱的人,除了“自轻自贱”不算外,余下的就是“第一个”。状元⒆不也是“第一个”么?“你算是什么东西” 呢!?

阿Q以如是等等妙法克服怨敌之后,便愉快的跑到酒店里喝几碗酒,又和别人调笑一通,口角一通,又得了胜,愉快的回到土谷祠,放倒头睡着了。假使有钱,他便去押牌宝⒇,一推人蹲在地面上,阿Q即汗流满面的夹在这中间,声音他最响:

“青龙四百!”

“咳……开……啦!”桩家揭开盒子盖,也是汗流满面的唱。“天门啦……角回啦……!人和穿堂空在那里啦……!阿Q的铜钱拿过来……!”

“穿堂一百——一百五十!”

阿Q的钱便在这样的歌吟之下,渐渐的输入别个汗流满面的人物的腰间。他终于只好挤出堆外,站在后面看,替别人着急,一直到散场,然后恋恋的回到土谷祠,第二天,肿着眼睛去工作。

但真所谓“塞翁失马安知非福”①罢,阿Q不幸而赢了一回,他倒几乎失败了。

这是未庄赛神②的晚上。这晚上照例有一台戏,戏台左近,也照例有许多的赌摊。做戏的锣鼓,在阿Q耳朵里仿佛在十里之外;他只听得桩家的歌唱了。他赢而又赢,铜钱变成角洋,角洋变成大洋,大洋又成了叠。他兴高采烈得非常:

“天门两块!”

他不知道谁和谁为什么打起架来了。骂声打声脚步声,昏头昏脑的一大阵,他才爬起来,赌摊不见了,人们也不见了,身上有几处很似乎有些痛,似乎也挨了几 拳几脚似的,几个人诧异的对他看。他如有所失的走进土谷祠,定一定神,知道他的一堆洋钱不见了。赶赛会的赌摊多不是本村人,还到那里去寻根柢呢?

很白很亮的一堆洋钱!而且是他的——现在不见了!说是算被儿子拿去了罢,总还是忽忽不乐;说自己是虫豸罢,也还是忽忽不乐:他这回才有些感到失败的苦痛了。

但他立刻转败为胜了。他擎起右手,用力的在自己脸上连打了两个嘴巴,热剌剌的有些痛;打完之后,便心平气和起来,似乎打的是自己,被打的是别一个自己,不久也就仿佛是自己打了别个一般,——虽然还有些热剌剌,——心满意足的得胜的躺下了。

他睡着了。


第三章 续优胜记略

然而阿Q虽然常优胜,却直待蒙赵太爷打他嘴巴之后,这才出了名。

他付过地保二百文酒钱,愤愤的躺下了,后来想:“现在的世界太不成话,儿子打老子……”于是忽而想到赵太爷的威风,而现在是他的儿子了,便自己也渐渐的得意起来,爬起身,唱着《小孤孀上坟》③到酒店去。这时候,他又觉得赵太爷高人一等了。

说也奇怪,从此之后,果然大家也仿佛格外尊敬他。这在阿Q,或者以为因为他是赵太爷的父亲,而其实也不然。未庄通例,倘如阿七打阿八,或者李四打张 三,向来本不算口碑。一上口碑,则打的既有名,被打的也就托庇有了名。至于错在阿Q,那自然是不必说。所以者何?就因为赵太爷是不会错的。但他既然错,为 什么大家又仿佛格外尊敬他呢?这可难解,穿凿起来说,或者因为阿Q说是赵太爷的本家,虽然挨了打,大家也还怕有些真,总不如尊敬一些稳当。否则,也如孔庙 里的太牢④一般,虽然与猪羊一样,同是畜生,但既经圣人下箸,先儒们便不敢妄动了。

阿Q此后倒得意了许多年。

有一年的春天,他醉醺醺的在街上走,在墙根的日光下,看见王胡在那里赤着膊捉虱子,他忽然觉得身上也痒起来了。这王胡,又癞又胡,别人都叫他王癞胡, 阿Q却删去了一个癞字,然而非常渺视他。阿Q的意思,以为癞是不足为奇的,只有这一部络腮胡子,实在太新奇,令人看不上眼。他于是并排坐下去了。倘是别的 闲人们,阿Q本不敢大意坐下去。但这王胡旁边,他有什么怕呢?老实说:他肯坐下去,简直还是抬举他。

阿Q也脱下破夹袄来,翻检了一回,不知道因为新洗呢还是因为粗心,许多工夫,只捉到三四个。他看那王胡,却是一个又一个,两个又三个,只放在嘴里毕毕剥剥的响。

阿Q最初是失望,后来却不平了:看不上眼的王胡尚且那么多,自己倒反这样少,这是怎样的大失体统的事呵!他很想寻一两个大的,然而竟没有,好容易才捉到一个中的,恨恨的塞在厚嘴唇里,狠命一咬,劈的一声,又不及王胡的响。

他癞疮疤块块通红了,将衣服摔在地上,吐一口唾沫,说:

“这毛虫!”

“癞皮狗,你骂谁?”王胡轻蔑的抬起眼来说。

阿Q近来虽然比较的受人尊敬,自己也更高傲些,但和那些打惯的闲人们见面还胆怯,独有这回却非常武勇了。这样满脸胡子的东西,也敢出言无状么?

“谁认便骂谁!”他站起来,两手叉在腰间说。

“你的骨头痒了么?”王胡也站起来,披上衣服说。

阿Q以为他要逃了,抢进去就是一拳。这拳头还未达到身上,已经被他抓住了,只一拉,阿Q跄跄踉踉的跌进去,立刻又被王胡扭住了辫子,要拉到墙上照例去碰头。

“‘君子动口不动手’!”阿Q歪着头说。

王胡似乎不是君子,并不理会,一连给他碰了五下,又用力的一推,至于阿Q跌出六尺多远,这才满足的去了。

在阿Q的记忆上,这大约要算是生平第一件的屈辱,因为王胡以络腮胡子的缺点,向来只被他奚落,从没有奚落他,更不必说动手了。而他现在竟动手,很意外,难道真如市上所说,皇帝已经停了考⑤,不要秀才和举人了,因此赵家减了威风,因此他们也便小觑了他么?

阿Q无可适从的站着。

远远的走来了一个人,他的对头又到了。这也是阿Q最厌恶的一个人,就是钱太爷的大儿子。他先前跑上城里去进洋学堂,不知怎么又跑到东洋去了,半年之后 他回到家里来,腿也直了,辫子也不见了,他的母亲大哭了十几场,他的老婆跳了三回井。后来,他的母亲到处说,“这辫子是被坏人灌醉了酒剪去了。本来可以做 大官,现在只好等留长再说了。”然而阿Q不肯信,偏称他“假洋鬼子”,也叫作“里通外国的人”,一见他,一定在肚子里暗暗的咒骂。

阿Q尤其“深恶而痛绝之”的,是他的一条假辫子。辫子而至于假,就是没了做人的资格;他的老婆不跳第四回井,也不是好女人。

这“假洋鬼子”近来了。

秃儿。驴……”阿Q历来本只在肚子里骂,没有出过声,这回因为正气忿,因为要报仇,便不由的轻轻的说出来了。

不料这秃儿却拿着一支黄漆的棍子——就是阿Q所谓哭丧棒⑥——大蹋步走了过来。阿Q在这刹那,便知道大约要打了,赶紧抽紧筋骨,耸了肩膀等候着,果然,拍的一声,似乎确凿打在自己头上了。

“我说他!”阿Q指着近旁的一个孩子,分辩说。

拍!拍拍!

在阿Q的记忆上,这大约要算是生平第二件的屈辱。幸而拍拍的响了之后,于他倒似乎完结了一件事,反而觉得轻松些,而且“忘却”这一件祖传的宝贝也发生了效力,他慢慢的走,将到酒店门口,早已有些高兴了。

但对面走来了静修庵里的小尼姑。阿Q便在平时,看见伊也一定要唾骂,而况在屈辱之后呢?他于是发生了回忆,又发生了敌忾了。

“我不知道我今天为什么这样晦气,原来就因为见了你!”他想。

他迎上去,大声的吐一口唾沫:

“咳,呸!”

小尼姑全不睬,低了头只是走。阿Q走近伊身旁,突然伸出手去摩着伊新剃的头皮,呆笑着,说:

“秃儿!快回去,和尚等着你……”

“你怎么动手动脚……”尼姑满脸通红的说,一面赶快走。

酒店里的人大笑了。阿Q看见自己的勋业得了赏识,便愈加兴高采烈起来:

“和尚动得,我动不得?”他扭住伊的面颊。

酒店里的人大笑了。阿Q更得意,而且为了满足那些赏鉴家起见,再用力的一拧,才放手。

他这一战,早忘却了王胡,也忘却了假洋鬼子,似乎对于今天的一切“晦气”都报了仇;而且奇怪,又仿佛全身比拍拍的响了之后轻松,飘飘然的似乎要飞去了。

“这断子绝孙的阿Q!”远远地听得小尼姑的带哭的声音。

“哈哈哈!”阿Q十分得意的笑。

“哈哈哈!”酒店里的人也九分得意的笑。


第四章 恋爱的悲剧

有人说:有些胜利者,愿意敌手如虎,如鹰,他才感得胜利的欢喜;假使如羊,如小鸡,他便反觉得胜利的无聊。又有些胜利者,当克服一切之后,看见死的死 了,降的降了,“臣诚惶诚恐死罪死罪”,他于是没有了敌人,没有了对手,没有了朋友,只有自己在上,一个,孤另另,凄凉,寂寞,便反而感到了胜利的悲哀。 然而我们的阿Q却没有这样乏,他是永远得意的:这或者也是中国精神文明冠于全球的一个证据了。

看哪,他飘飘然的似乎要飞去了!

然而这一次的胜利,却又使他有些异样。他飘飘然的飞了大半天,飘进土谷祠,照例应该躺下便打鼾。谁知道这一晚,他很不容易合眼,他觉得自己的大拇指和 第二指有点古怪:仿佛比平常滑腻些。不知道是小尼姑的脸上有一点滑腻的东西粘在他指上,还是他的指头在小尼姑脸上磨得滑腻了?……

“断子绝孙的阿Q!”

阿Q的耳朵里又听到这句话。他想:不错,应该有一个女人,断子绝孙便没有人供一碗饭,……应该有一个女人。夫“不孝有三无后为大”⑦,而“若敖之鬼馁而”⑧,也是一件人生的大哀,所以他那思想,其实是样样合于圣经贤传的,只可惜后来有些“不能收其放心”⑨了。

“女人,女人!……”他想。

“……和尚动得……女人,女人!……女人!”他又想。

我们不能知道这晚上阿Q在什么时候才打鼾。但大约他从此总觉得指头有些滑腻,所以他从此总有些飘飘然;“女……”他想。

即此一端,我们便可以知道女人是害人的东西。

中国的男人,本来大半都可以做圣贤,可惜全被女人毁掉了。商是妲己⑩闹亡的;周是褒姒弄坏的;秦……虽然史无明文,我们也假定他因为女人,大约未必十分错;而董卓可是的确给貂蝉害死了。

阿Q本来也是正人,我们虽然不知道他曾蒙什么明师指授过,但他对于“男女之大防”㈠却历来非常严;也很有排斥异端——如小尼姑及假洋鬼子之类——的正 气。他的学说是:凡尼姑,一定与和尚私通;一个女人在外面走,一定想引诱野男人;一男一女在那里讲话,一定要有勾当了。为惩治他们起见,所以他往往怒目而 视,或者大声说几句“诛心”㈡话,或者在冷僻处,便从后面掷一块小石头。

谁知道他将到“而立”㈢之年,竟被小尼姑害得飘飘然了。这飘飘然的精神,在礼教上是不应该有的,——所以女人真可恶,假使小尼姑的脸上不滑腻,阿Q便 不至于被蛊,又假使小尼姑的脸上盖一层布,阿Q便也不至于被蛊了,——他五六年前,曾在戏台下的人丛中拧过一个女人的大腿,但因为隔一层裤,所以此后并不 飘飘然,——而小尼姑并不然,这也足见异端之可恶。

“女……”阿Q想。

他对于以为“一定想引诱野男人”的女人,时常留心看,然而伊并不对他笑。他对于和他讲话的女人,也时常留心听,然而伊又并不提起关于什么勾当的话来。哦,这也是女人可恶之一节:伊们全都要装“假正经”的。

这一天,阿Q在赵太爷家里舂了一天米,吃过晚饭,便坐在厨房里吸旱烟。倘在别家,吃过晚饭本可以回去的了,但赵府上晚饭早,虽说定例不准掌灯,一吃完 便睡觉,然而偶然也有一些例外:其一,是赵大爷未进秀才的时候,准其点灯读文章;其二,便是阿Q来做短工的时候,准其点灯舂米。因为这一条例外,所以阿Q 在动手舂米之前,还坐在厨房里吸烟旱。

吴妈,是赵太爷家里唯一的女仆,洗完了碗碟,也就在长凳上坐下了,而且和阿Q谈闲天:

“太太两天没有吃饭哩,因为老爷要买一个小的……”

“女人……吴妈……这小孤孀……”阿Q想。

“我们的少奶奶是八月里要生孩子了……”

女人……”阿Q想。

阿Q放下烟管,站了起来。

“我们的少奶奶……”吴妈还唠叨说。

“我和你困觉,我和你困觉!”阿Q忽然抢上去,对伊跪下了。

一刹时中很寂然。

“阿呀!”吴妈楞了一息,突然发抖,大叫着往外跑,且跑且嚷,似乎后来带哭了。

阿Q对了墙壁跪着也发楞,于是两手扶着空板凳,慢慢的站起来,仿佛觉得有些糟。他这时确也有些忐忑了,慌张的将烟管插在裤带上,就想去舂米。蓬的一声,头上着了很粗的一下,他急忙回转身去,那秀才便拿了一支大竹杠站在他面前。

“你反了,……你这……”

大竹杠又向他劈下来了。阿Q两手去抱头,拍的正打在指节上,这可很有些痛。他冲出厨房门,仿佛背上又着了一下似的。

“忘八蛋!”秀才在后面用了官话这样骂。

阿Q奔入舂米场,一个人站着,还觉得指头痛,还记得“忘八蛋”,因为这话是未庄的乡下人从来不用,专是见过官府的阔人用的,所以格外怕,而印象也格外 深。但这时,他那“女……”的思想却也没有了。而且打骂之后,似乎一件事也已经收束,倒反觉得一无挂碍似的,便动手去舂米。舂了一会,他热起来了,又歇了 手脱衣服。

脱下衣服的时候,他听得外面很热闹,阿Q生平本来最爱看热闹,便即寻声走出去了。寻声渐渐的寻到赵太爷的内院里,虽然在昏黄中,却辨得出许多人,赵府一家连两日不吃饭的太太也在内,还有间壁的邹七嫂,真正本家的赵白眼,赵司晨。

少奶奶正拖着吴妈走出下房来,一面说:

“你到外面来,……不要躲在自己房里想……”

“谁不知道你正经,……短见是万万寻不得的。”邹七嫂也从旁说。

吴妈只是哭,夹些话,却不甚听得分明。

阿Q想:“哼,有趣,这小孤孀不知道闹着什么玩意儿了?”他想打听,走近赵司晨的身边。这时他猛然间看见赵大爷向他奔来,而且手里捏着一支大竹杠。他 看见这一支大竹杠,便猛然间悟到自己曾经被打,和这一场热闹似乎有点相关。他翻身便走,想逃回舂米场,不图这支竹杠阻了他的去路,于是他又翻身便走,自然 而然的走出后门,不多工夫,已在土谷祠内了。

阿Q坐了一会,皮肤有些起粟,他觉得冷了,因为虽在春季,而夜间颇有余寒,尚不宜于赤膊。他也记得布衫留在赵家,但倘若去取,又深怕秀才的竹杠。然而地保进来了。

“阿Q,你的妈妈的!你连赵家的用人都调戏起来,简直是造反。害得我晚上没有觉睡,你的妈妈的!……”

如是云云的教训了一通,阿Q自然没有话。临末,因为在晚上,应该送地保加倍酒钱四百文,Q正没有现钱,便用一顶毡帽做抵押,并且订定了五条件:

一明天用红烛——要一斤重的——一对,香一封,到赵府上去赔罪。

二赵府上请道士祓除缢鬼,费用由阿Q负担。

三阿Q从此不准踏进赵府的门槛。

四吴妈此后倘有不测,惟阿Q是问。

五阿Q不准再去索取工钱和布衫。

阿Q自然都答应了,可惜没有钱。幸而已经春天,棉被可以无用,便质了二千大钱,履行条约。赤膊磕头之后,居然还剩几文,他也不再赎毡帽,统统喝了酒 了。但赵家也并不烧香点烛,因为太太拜佛的时候可以用,留着了。那破布衫是大半做了少奶奶八月间生下来的孩子的衬尿布,那小半破烂的便都做了吴妈的鞋底。


第五章 生计问题

阿Q礼毕之后,仍旧回到土谷祠,太陽下去了,渐渐觉得世上有些古怪。他仔细一想,终于省悟过来:其原因盖在自己的赤膊。他记得破夹袄还在,便披在身上,躺倒了,待张开眼睛,原来太陽又已经照在西墙上头了。他坐起身,一面说道,“妈妈的……”

他起来之后,也仍旧在街上逛,虽然不比赤膊之有切肤之痛,却又渐渐的觉得世上有些古怪了。仿佛从这一天起,未庄的女人们忽然都怕了羞,伊们一见阿Q走 来,便个个躲进门里去。甚而至于将近五十岁的邹七嫂,也跟着别人乱钻,而且将十一的女儿都叫进去了。阿Q很以为奇,而且想:“这些东西忽然都学起小姐模样 来了。这娼妇们……”

但他更觉得世上有些古怪,却是许多日以后的事。其一,酒店不肯赊欠了;其二,管土谷祠的老头子说些废话,似乎叫他走;其三,他虽然记不清多少日,但确 乎有许多日,没有一个人来叫他做短工。酒店不赊,熬着也罢了;老头子催他走,噜苏一通也就算了;只是没有人来叫他做短工,却使阿Q肚子饿:这委实是一件非 常“妈妈的”的事情。

阿Q忍不下去了,他只好到老主顾的家里去探问,——但独不许踏进赵府的门槛,——然而情形也异样:一定走出一个男人来,现了十分烦厌的相貌,像回复乞丐一般的摇手道:

“没有没有!你出去!”

阿Q愈觉得稀奇了。他想,这些人家向来少不了要帮忙,不至于现在忽然都无事,这总该有些蹊跷在里面了。他留心打听,才知道他们有事都去叫小Don㈣。 这小D,是一个穷小子,又瘦又乏,在阿Q的眼睛里,位置是在王胡之下的,谁料这小子竟谋了他的饭碗去。所以阿Q这一气,更与平常不同,当气愤愤的走着的时 候,忽然将手一扬,唱道:

“我手执钢鞭将你打!㈤……”

几天之后,他竟在钱府的照壁前遇见了小D。“仇人相见分外眼明”,阿Q便迎上去,小D也站住了。

“畜生!”阿Q怒目而视的说,嘴角上飞出唾沫来。

“我是虫豸,好么?……”小D说。

这谦逊反使阿Q更加愤怒起来,但他手里没有钢鞭,于是只得扑上去,伸手去拔小D的辫子。小D一手护住了自己的辫根,一手也来拔阿Q的辫子,阿Q便也将 空着的一只手护住了自己的辫根。从先前的阿Q看来,,小D本来是不足齿数的,但他近来挨了饿,又瘦又乏已经不下于小D,所以便成了势均力敌的现象,四只手 拔着两颗头,都弯了腰,在钱家粉墙上映出一个蓝色*的虹形,至于半点钟之久了。

“好了,好了!”看的人们说,大约是解劝的。

“好,好!”看的人们说,不知道是解劝,是颂扬,还是煽动。

然而他们都不听。阿Q进三步,小D便退三步,都站着;小D进三步,阿Q便退三步,又都站着。大约半点钟,——未庄少有自鸣钟,所以很难说,或者二十 分,——他们的头发里便都冒烟,额上便都流汗,阿Q的手放松了,在同一瞬间,小D的手也正放松了,同时直起,同时退开,都挤出人丛去。

“记着罢,妈妈的……”阿Q回过头去说。

“妈妈的,记着罢……”小D也回过头来说。

这一场“龙虎斗”似乎并无胜败,也不知道看的人可满足,都没有发什么议论,而阿Q 却仍然没有人来叫他做短工。

有一日很温和,微风拂拂的颇有些夏意了,阿Q却觉得寒冷起来,但这还可担当,第一倒是肚子饿。棉被,毡帽,布衫,早已没有了,其次就卖了棉袄;现在有 裤子,却万不可脱的;有破夹袄,又除了送人做鞋底之外,决定卖不出钱。他早想在路上拾得一注钱,但至今还没有见;他想在自己的破屋里忽然寻到一注钱,慌张 的四顾,但屋内是空虚而且了然。于是他决计出门求食去了。

他在路上走着要“求食”,看见熟识的酒店,看见熟识的馒头,但他都走过了,不但没有暂停,而且并不想要。他所求的不是这类东西了;他求的是什么东西,他自己不知道。

未庄本不是大村镇,不多时便走尽了。村外多是水田,满眼是新秧的嫩绿,夹着几个圆形的活动的黑点,便是耕田的农夫。阿Q并不赏鉴这田家乐,却只是走,因为他直觉的知道这与他的“求食”之道是很辽远的。但他终于走到静修庵的墙外了。

庵周围也是水田,粉墙突出在新绿里,后面的低土墙里是菜园。阿Q迟疑了一会,四面一看,并没有人。他便爬上这矮墙去,扯着何首乌藤,但泥土仍然簌簌的 掉,阿Q的脚也索索的抖;终于攀着桑树枝,跳到里面了。里面真是郁郁葱葱,但似乎并没有黄酒馒头,以及此外可吃的之类。靠西墙是竹丛,下面许多笋,只可惜 都是并未煮熟的,还有油菜早经结子,芥菜已将开花,小白菜也很老了。

阿Q仿佛文童落第似的觉得很冤屈,他慢慢走近园门去,忽而非常惊喜了,这分明是一畦老萝卜。他于是蹲下便拔,而门口突然伸出一个很圆的头来,又即缩回 去了,这分明是小尼姑。小尼姑之流是阿Q本来视若草芥的,但世事须“退一步想”,所以他便赶紧拔起四个萝卜,拧下青叶,兜在大襟里。然而老尼姑已经出来 了。

“阿弥陀佛,阿Q,你怎么跳进园里来偷萝卜!……阿呀,罪过呵,阿唷,阿弥陀佛!……”

“我什么时候跳进你的园里来偷萝卜?”阿Q且看且走的说。

“现在……这不是?”老尼姑指着他的衣兜。

“这是你的?你能叫得他答应你么?你……”

阿Q没有说完话,拔步便跑;追来的是一匹很肥大的黑狗。这本来在前门的,不知怎的到后园来了。黑狗哼而且追,已经要咬着阿Q的腿,幸而从衣兜里落下一 个萝卜来,那狗给一吓,略略一停,阿Q已经爬上桑树,跨到土墙,连人和萝卜都滚出墙外面了。只剩着黑狗还在对着桑树嗥,老尼姑念着佛。

阿Q怕尼姑又放出黑狗来,拾起萝卜便走,沿路又捡了几块小石头,但黑狗却并不再现。阿Q于是抛了石块,一面走一面吃,而且想道,这里也没有什么东西寻,不如进城去……

待三个萝卜吃完时,他已经打定了进城的主意了。


第六章 从中兴到末路

在未庄再看见阿Q出现的时候,是刚过了这年的中秋。人们都惊异,说是阿Q回来了,于是又回上去想道,他先前那里去了呢?阿Q前几回的上城,大抵早就兴 高采烈的对人说,但这一次却并不,所以也没有一个人留心到。他或者也曾告诉过管土谷祠的老头子,然而未庄老例,只有赵太爷钱太爷和秀才大爷上城才算一件 事。假洋鬼子尚且不足数,何况是阿Q:因此老头子也就不替他宣传,而未庄的社会上也就无从知道了。

但阿Q这回的回来,却与先前大不同,确乎很值得惊异。天色*将黑,他睡眼蒙胧的在酒店门前出现了,他走近柜台,从腰间伸出手来,满把是银的和铜的,在柜 上一扔说,“现钱!打酒来!”穿的是新夹袄,看去腰间还挂着一个大搭连,沉钿钿的将裤带坠成了很弯很弯的弧线。未庄老例,看见略有些醒目的人物,是与其慢 也宁敬的,现在虽然明知道是阿Q,但因为和破夹袄的阿Q有些两样了,古人云,“士别三日便当刮目相待”㈥,所以堂倌,掌柜,酒客,路人,便自然显出一种凝 而且敬的形态来。掌柜既先之以点头,又继之以谈话:

“豁,阿Q,你回来了!”

“回来了。”

“发财发财,你是——在……”

“上城去了!”

这一件新闻,第二天便传遍了全未庄。人人都愿意知道现钱和新夹袄的阿Q的中兴史,所以在酒店里,茶馆里,庙檐下,便渐渐的探听出来了。这结果,是阿Q得了新敬畏。

据阿Q说,他是在举人老爷家里帮忙。这一节,听的人都肃然了。这老爷本姓白,但因为合城里只有他一个举人,所以不必再冠姓,说起举人来就是他。这也不 独在未庄是如此,便是一百里方圆之内也都如此,人们几乎多以为他的姓名就叫举人老爷的了。在这人的府上帮忙,那当然是可敬的。但据阿Q又说,他却不高兴再 帮忙了,因为这举人老爷实在太“妈妈的”了。这一节,听的人都叹息而且快意,因为阿Q本不配在举人老爷家里帮忙,而不帮忙是可惜的。

据阿Q说,他的回来,似乎也由于不满意城里人,这就在他们将长凳称为条凳,而且煎鱼用葱丝,加以最近观察所得的缺点,是女人的走路也扭得不很好。然而 也偶有大可佩服的地方,即如未庄的乡下人不过打三十二张的竹牌㈦,只有假洋鬼子能够叉“麻酱”,城里却连小乌龟子都叉得精熟的。什么假洋鬼子,只要放在城 里的十几岁的小乌龟子的手里,也就立刻是“小鬼见阎王”。这一节,听的人都赧然了。

“你们可看见过杀头么?”阿Q说,“咳,好看。杀革命党。唉,好看好看,……”他摇摇头,将唾沫飞在正对面的赵司晨的脸上。这一节,听的人都凛然了。但阿Q又四面一看,忽然扬起右手,照着伸长脖子听得出神的王胡的后项窝上直劈下去道:

“嚓!”

王胡惊得一跳,同时电光石火似的赶快缩了头,而听的人又都悚然而且欣然了。从此王胡瘟头瘟脑的许多日,并且再不敢走近阿Q的身边;别的人也一样。

阿Q这时在未庄人眼睛里的地位,虽不敢说超过赵太爷,但谓之差不多,大约也就没有什么语病的了。

然而不多久,这阿Q的大名忽又传遍了未庄的闺中。虽然未庄只有钱赵两姓是大屋,此外十之九都是浅闺,但闺中究竟是闺中,所以也算得一件神异。女人们见 面时一定说,邹七嫂在阿Q那里买了一条蓝绸裙,旧固然是旧的,但只化了九角钱。还有赵白眼的母亲,——一说是赵司晨的母亲,待考,——也买了一件孩子穿的 大红洋纱衫,七成新,只用三百大钱九二串㈧。于是伊们都眼巴巴的想见阿Q,缺绸裙的想问他买绸裙,要洋纱衫的想问他买洋纱衫,不但见了不逃避,有时阿Q已 经走过了,也还要追上去叫住他,问道:

“阿Q,你还有绸裙么?没有?纱衫也要的,有罢?”

后来这终于从浅闺传进深闺里去了。因为邹七嫂得意之余,将伊的绸裙请赵太太去鉴赏,赵太太又告诉了赵太爷而且着实恭维了一番。赵太爷便在晚饭桌上,和 秀才大爷讨论,以为阿Q实在有些古怪,我们门窗应该小心些;但他的东西,不知道可还有什么可买,也许有点好东西罢。加以赵太太也正想买一件价廉物美的皮背 心。于是家族决议,便托邹七嫂即刻去寻阿Q,而且为此新辟了第三种的例外:这晚上也姑且特准点油灯。

油灯干了不少了,阿Q还不到。赵府的全眷都很焦急,打着呵欠,或恨阿Q太飘忽,或怨邹七嫂不上紧。赵太太还怕他因为春天的条件不敢来,而赵太爷以为不足虑:因为这是“我”去叫他的。果然,到底赵太爷有见识,阿Q终于跟着邹七嫂进来了。

“他只说没有没有,我说你自己当面说去,他还要说,我说……”邹七嫂气喘吁吁的走着说。

“太爷!”阿Q似笑非笑的叫了一声,在檐下站住了。

“阿Q,听说你在外面发财,”赵太爷踱开去,眼睛打量着他的全身,一面说。“那很好,那很好的。这个,……听说你有些旧东西,……可以都拿来看一看,……这也并不是别的,因为我倒要……”

“我对邹七嫂说过了。都完了。”

“完了?”赵太爷不觉失声的说,“那里会完得这样快呢?”

“那是朋友的,本来不多。他们买了些,……”

“总该还有一点罢。”

“现在,只剩了一张门幕了。”

“就拿门幕来看看罢。”赵太太慌忙说。

“那么,明天拿来就是,”赵太爷却不甚热心了。“阿Q,你以后有什么东西的时候,你尽先送来给我们看,……”

“价钱决不会比别家出得少!”秀才说。秀才娘子忙一瞥阿Q的脸,看他感动了没有。

“我要一件皮背心。”赵太太说。

阿Q虽然答应着,却懒洋洋的出去了,也不知道他是否放在心上。这使赵太爷很失望,气愤而且担心,至于停止了打呵欠。秀才对于阿Q的态度也很不平,于是 说,这忘八蛋要提防,或者不如吩咐地保,不许他住在未庄。但赵太爷以为不然,说这也怕要结怨,况且做这路生意的大概是“老鹰不吃窝下食”,本村倒不必担心 的;只要自己夜里警醒点就是了。秀才听了这“庭训”㈨,非常之以为然,便即刻撤消了驱逐阿Q的提议,而且叮嘱邹七嫂,请伊千万不要向人提起这一段话。

但第二日,邹七嫂便将那蓝裙去染了皂,又将阿Q可疑之点传扬出去了,可是确没有提起秀才要驱逐他这一节。然而这已经于阿Q很不利。最先,地保寻上门 了,取了他的门幕去,阿Q说是赵太太要看的,而地保也不还并且要议定每月的孝敬钱。其次,是村人对于他的敬畏忽而变相了,虽然还不敢来放肆,却很有远避的 神情,而这神情和先前的防他来“嚓”的时候又不同,颇混着“敬而远之”的分子了。

只有一班闲人们却还要寻根究底的去探阿Q的底细。阿Q也并不讳饰,傲然的说出他的经验来。从此他们才知道,他不过是一个小脚色*,不但不能上墙,并且不 能进洞,只站在洞外接东西。有一夜,他刚才接到一个包,正手再进去,不一会,只听得里面大嚷起来,他便赶紧跑,连夜爬出城,逃回未庄来了,从此不敢再去 做。然而这故事却于阿Q更不利,村人对于阿Q的“敬而远之”者,本因为怕结怨,谁料他不过是一个不敢再偷的偷儿呢?这实在是“斯亦不足畏也矣”㈩。


第七章 革命

宣统三年九月十四日(⒈)——即阿Q将搭连卖给赵白眼的这一天——三更四点,有一只大乌篷船到了赵府上的河埠头。这船从黑魆魆中荡来,乡下人睡得熟,都没有知道;出去时将近黎明,却很有几个看见的了。据探头探脑的调查来的结果,知道那竟是举人老爷的船!

那船便将大不安载给了未庄,不到正午,全村的人心就很动摇。船的使命,赵家本来是很秘密的,但茶坊酒肆里却都说,革命党要进城,举人老爷到我们乡下来 逃难了。惟有邹七嫂不以为然,说那不过是几口破衣箱,举人老爷想来寄存的,却已被赵太爷回复转去。其实举人老爷和赵秀才素不相能,在理本不能有“共患难” 的情谊,况且邹七嫂又和赵家是邻居,见闻较为切近,所以大概该是伊对的。

然而谣言很旺盛,说举人老爷虽然似乎没有亲到,却有一封长信,和赵家排了“转折亲”。赵太爷肚里一轮,觉得于他总不会有坏处,便将箱子留下了,现就塞在太太的床底下。至于革命党,有的说是便在这一夜进了城,个个白盔白甲:穿着崇正皇帝的素(⒉)。

阿Q的耳朵里,本来早听到过革命党这一句话,今年又亲眼见过杀掉革命党。但他有一种不知从那里来的意见,以为革命党便是造反,造反便是与他为难,所以 一向是“深恶而痛绝之”的。殊不料这却使百里闻名的举人老爷有这样怕,于是他未免也有些“神往”了,况且未庄的一群鸟男女的慌张的神情,也使阿Q更快意。

“革命也好罢,”阿Q想,“革这伙妈妈的命,太可恶!太可恨!……便是我,也要投降革命党了。”

阿Q近来用度窘,大约略略有些不平;加以午间喝了两碗空肚酒,愈加醉得快,一面想一面走,便又飘飘然起来。不知怎么一来,忽而似乎革命党便是自己,未庄人却都是他的俘虏了。他得意之余,禁不住大声的嚷道:

“造反了!造反了!”

未庄人都用了惊惧的眼光对他看。这一种可怜的眼光,是阿Q从来没有见过的,一见之下,又使他舒服得如六月里喝了雪水。他更加高兴的走而且喊道:

“好,……我要什么就是什么,我欢喜谁就是谁。

得得,锵锵!

悔不该,酒醉错斩了郑贤弟,

悔不该,呀呀呀……

得得,锵锵,得,锵令锵!

我手执钢鞭将你打……”

赵府上的两位男人和两个真本家,也正站在大门口论革命。阿Q没有见,昂了头直唱过去。

“得得,……”

“老Q,”赵太爷怯怯的迎着低声的叫。

“锵锵,”阿Q料不到他的名字会和“老”字联结起来,以为是一句别的话,与己无干,只是唱。“得,锵,锵令锵,锵!”

“老Q。”

“悔不该……”

“阿Q!”秀才只得直呼其名了。

阿Q这才站住,歪着头问道,“什么?”

“老Q,……现在……”赵太爷却又没有话,“现在……发财么?”

“发财?自然。要什么就是什么……”

“阿……Q哥,像我们这样穷朋友是不要紧的……”赵白眼惴惴的说,似乎想探革命党的口风。

“穷朋友?你总比我有钱。”阿Q说着自去了。

大家都怃然,没有话。赵太爷父子回家,晚上商量到点灯。赵白眼回家,便从腰间扯下搭连来,交给他女人藏在箱底里。

阿Q飘飘然的飞了一通,回到土谷祠,酒已经醒透了。这晚上,管祠的老头子也意外的和气,请他喝茶;阿Q便向他要了两个饼,吃完之后,又要了一支点过的 四两烛和一个树烛台,点起来,独自躺在自己的小屋里。他说不出的新鲜而且高兴,烛火像元夜似的闪闪的跳,他的思想也迸跳起来了:

“造反?有趣,……来了一阵白盔白甲的革命党,都拿着板刀,钢鞭,炸弹,洋炮,三尖两刃刀,钩镰枪,走过土谷祠,叫道,‘阿Q!同去同去!’于是一同去。……

“这时未庄的一伙鸟男女才好笑哩,跪下叫道,‘阿Q,饶命!’谁听他!第一个该死的是小D和赵太爷,还有秀才,还有假洋鬼子,……留几条么?王胡本来还可留,但也不要了。……

“东西,……直走进去打开箱子来:元宝,洋钱,洋纱衫,……秀才娘子的一张宁式床(⒊)先搬到土谷祠,此外便摆了钱家的桌椅,——或者也就用赵家的罢。自己是不动手的了,叫小D来搬,要搬得快,搬得不快打嘴巴。……

“赵司晨的妹子真丑。邹七嫂的女儿过几年再说。假洋鬼子的老婆会和没有辫子的男人睡觉,吓,不是好东西!秀才的老婆是眼胞上有疤的。……吴妈长久不见了,不知道在那里,——可惜脚太大。”

阿Q没有想得十分停当,已经发了鼾声,四两烛还只点去了小半寸,红焰焰的光照着他张开的嘴。

“荷荷!”阿Q忽而大叫起来,抬了头仓皇的四顾,待到看见四两烛,却又倒头睡去了。

第二天他起得很迟,走出街上看时,样样都照旧。他也仍然肚饿,他想着,想不起什么来;但他忽而似乎有了主意了,慢慢的跨开步,有意无意的走到静修庵。

庵和春天时节一样静,白的墙壁和漆黑的门。他想了一想,前去打门,一只狗在里面叫。他急急拾了几块断砖,再上去较为用力的打,打到黑门上生出许多麻点的时候,才听得有人来开门。

阿Q连忙捏好砖头,摆开马步,准备和黑狗来开战。但庵门只开了一条缝,并无黑狗从中冲出,望进去只有一个老尼姑。

“你又来什么事?”伊大吃一惊的说。

“革命了……你知道?……”阿Q说得很含胡。

“革命革命,革过一革的,……你们要革得我们怎么样呢?”老尼姑两眼通红的说。

“什么?……”阿Q诧异了。

“你不知道,他们已经来革过了!”

“谁?……”阿Q更其诧异了。

“那秀才和洋鬼子!”

阿Q很出意外,不由的一错愕;老尼姑见他失了锐气,便飞速的关了门,阿Q再推时,牢不可开,再打时,没有回答了。

那还是上午的事。赵秀才消息灵,一知道革命党已在夜间进城,便将辫子盘在顶上,一早去拜访那历来也不相能的钱洋鬼子。这是“咸与维新”(⒋)的时候 了,所以他们便谈得很投机,立刻成了情投意合的同志,也相约去革命。他们想而又想,才想出静修庵里有一块“皇帝万岁万万岁”的龙牌,是应该赶紧革掉的,于 是又立刻同到庵里去革命。因为老尼姑来阻挡,说了三句话,他们便将伊当作满zheng府,在头上很给了不少的棍子和栗凿。尼姑待他们走后,定了神来检点,龙牌固然 已经碎在地上了,而且又不见了观音娘娘座前的一个宣德炉(⒌)。

这事阿Q后来才知道。他颇悔自己睡着,但也深怪他们不来招呼他。他又退一步想道:

“难道他们还没有知道我已经投降了革命党么?”


第八章 不准革命

未庄的人心日见其安静了。据传来的消息,知道革命党虽然进了城,倒还没有什么大异样。知县大老爷还是原官,不过改称了什么,而且举人老爷也做了什么 ——这些名目,未庄人都说不明白——官,带兵的也还是先前的老把总(⒍)。只有一件可怕的事是另有几个不好的革命党夹在里面捣乱,第二天便动手剪辫子,听 说那邻村的航船七斤便着了道儿,弄得不像人样子了。但这却还不算大恐怖,因为未庄人本来少上城,即使偶有想进城的,也就立刻变了计,碰不着这危险。阿Q本 也想进城去寻他的老朋友,一得这消息,也只得作罢了。

但未庄也不能说是无改革。几天之后,将辫子盘在顶上的逐渐增加起来了,早经说过,最先自然是茂才公,其次便是赵司晨和赵白眼,后来是阿Q。倘在夏天, 大家将辫子盘在头顶上或者打一个结,本不算什么稀奇事,但现在是暮秋,所以这“秋行夏令”的情形,在盘辫家不能不说是万分的英断,而在未庄也不能说无关于 改革了。

赵司晨脑后空荡荡的走来,看见的人大嚷说,

“豁,革命党来了!”

阿Q听到了很羡慕。他虽然早知道秀才盘辫的大新闻,但总没有想到自己可以照样做,现在看见赵司晨也如此,才有了学样的意思,定下实行的决心。他用一支竹筷将辫子盘在头顶上,迟疑多时,这才放胆的走去。

他在街上走,人也看他,然而不说什么话,阿Q当初很不快,后来便很不平。他近来很容易闹脾气了;其实他的生活,倒也并不比造反之前反艰难,人见他也客 气,店铺也不说要现钱。而阿Q总觉得自己太失意:既然革了命,不应该只是这样的。况且有一回看见小D,愈使他气破肚皮了。

小D也将辫子盘在头顶上了,而且也居然用一支竹筷。阿Q万料不到他也敢这样做,自己也决不准他这样做!小D是什么东西呢?他很想即刻揪住他,拗断他的 竹筷,放下他的辫子,并且批他几个嘴巴,聊且惩罚他忘了生辰八字,也敢来做革命党的罪。但他终于饶放了,单是怒目而视的吐一口唾沫道“呸!”

这几日里,进城去的只有一个假洋鬼子。赵秀才本也想靠着寄存箱子的渊源,亲身去拜访举人老爷的,但因为有剪辫的危险,所以也中止了。他写了一封“黄伞 格”(⒎)的信,托假洋鬼子带上城,而且托他给自己绍介绍介,去进自由党。假洋鬼子回来时,向秀才讨还了四块洋钱,秀才便有一块银桃子挂在大襟上了;未庄 人都惊服,说这是柿油党的顶子(⒏),抵得一个翰林(⒐);赵太爷因此也骤然大阔,远过于他儿子初隽秀才的时候,所以目空一切,见了阿Q,也就很有些不放 在眼里了。

阿Q正在不平,又时时刻刻感着冷落,一听得这银桃子的传说,他立即悟出自己之所以冷落的原因了:要革命,单说投降,是不行的;盘上辫子,也不行的;第 一着仍然要和革命党去结识。他生平所知道的革命党只有两个,城里的一个早已“嚓”的杀掉了,现在只剩了一个假洋鬼子。他除却赶紧去和假洋鬼子商量之外,再 没有别的道路了。

钱府的大门正开着,阿Q便怯怯的躄进去。他一到里面,很吃了惊,只见假洋鬼子正站在院子的中央,一身乌黑的大约是洋衣,身上也挂着一块银桃子,手里是 阿Q曾经领教过的棍子,已经留到一尺多长的辫子都拆开了披在肩背上,蓬头散发的像一个刘海仙(⒑)。对面挺直的站着赵白眼和三个闲人,正在必恭必敬的听说 话。

阿Q轻轻的走近了,站在赵白眼的背后,心里想招呼,却不知道怎么说才好:叫他假洋鬼子固然是不行的了,洋人也不妥,革命党也不妥,或者就应该叫洋先生了罢。

洋先生却没有见他,因为白着眼睛讲得正起劲:

“我是性*急的,所以我们见面,我总是说:洪哥(⒒)!我们动手罢!他却总说道N o!——这是洋话,你们不懂的。否则早已成功了。然而这正是他做事小心的地方。他再三再四的请我上湖北,我还没有肯。谁愿意在这小县城里做事情。……”

“唔,……这个……”阿Q候他略停,终于用十二分的勇气开口了,但不知道因为什么,又并不叫他洋先生。

听着说话的四个人都吃惊的回顾他。洋先生也才看见:

“什么?”

“我……”

“出去!”

“我要投……”

“滚出去!”洋先生扬起哭丧棒来了。

赵白眼和闲人们便都吆喝道:“先生叫你滚出去,你还不听么!”

阿Q将手向头上一遮,不自觉的逃出门外;洋先生倒也没有追。他快跑了六十多步,这才慢慢的走,于是心里便涌起了忧愁:洋先生不准他革命,他再没有别的 路;从此决不能望有白盔白甲的人来叫他,他所有的抱负,志向,希望,前程,全被一笔勾销了。至于闲人们传扬开去,给小D王胡等辈笑话,倒是还在其次的事。

他似乎从来没有经验过这样的无聊。他对于自己的盘辫子,仿佛也觉得无意味,要侮蔑;为报仇起见,很想立刻放下辫子来,但也没有竟放。他游到夜间,赊了两碗酒,喝下肚去,渐渐的高兴起来了,思想里才又出现白盔白甲的碎片。

有一天,他照例的混到夜深,待酒店要关门,才踱回土谷祠去。

拍,吧……!

他忽而听得一种异样的声音,又不是爆竹。阿Q本来是爱看热闹,爱管闲事的,便在暗中直寻过去。似乎前面有些脚步声;他正听,猛然间一个人从对面逃来了。阿Q一看见,便赶紧翻身跟着逃。那人转弯,阿Q也转弯,那人站住了,阿Q也站住。他看后面并无什么,看那人便是小D。

“什么?”阿Q不平起来了。

“赵……赵家遭抢了!”小D气喘吁吁的说。

阿Q的心怦怦的跳了。小D说了便走;阿Q却逃而又停的两三回。但他究竟是做过“这路生意”,格外胆大,于是躄出路角,仔细的听,似乎有些嚷嚷,又仔细 的看,似乎许多白盔白甲的人,络绎的将箱子抬出了,器具抬出了,秀才娘子的宁式床也抬出了,但是不分明,他还想上前,两只脚却没有动。

这一夜没有月,未庄在黑暗里很寂静,寂静到像羲皇(⒓)时候一般太平。阿Q站着看到自己发烦,也似乎还是先前一样,在那里来来往往的搬,箱子抬出了,器具抬出了,秀才娘子的宁式床也抬出了,……抬得他自己有些不信他的眼睛了。但他决计不再上前,却回到自己的祠里去了。

土谷祠里更漆黑;他关好大门,摸进自己的屋子里。他躺了好一会,这才定了神,而且发出关于自己的思想来:白盔白甲的人明明到了,并不来打招呼,搬了许多好东西,又没有自己的份,——这全是假洋鬼子可恶,不准我造反,否则,这次何至于没有我的份呢?阿Q 越想越气,终于禁不住满心痛恨起来,毒毒的点一点头:“不准我造反,只准你造反?妈妈的假洋鬼子,——好,你造反!造反是杀头的罪名呵,我总要告一状,看你抓进县里去杀头,——满门抄斩,——嚓!嚓!”


第九章大团圆

赵家遭抢之后,未庄人大抵很快意而且恐慌,阿Q也很快意而且恐慌。但四天之后,阿Q在半夜里忽被抓进县城里去了。那时恰是暗夜,一队兵,一队团丁,一 队警察,五个侦探,悄悄地到了未庄,乘昏暗围住土谷祠,正对门架好机关枪;然而阿Q不冲出。许多时没有动静,把总焦急起来了,悬了二十千的赏,才有两个团 丁冒了险,逾垣进去,里应外合,一拥而入,将阿Q抓出来;直待擒出祠外面的机关枪左近,他才有些清醒了。

到进城,已经是正午,阿Q见自己被搀进一所破衙门,转了五六个弯,便推在一间小屋里。他刚刚一跄踉,那用整株的木料做成的栅栏门便跟着他的脚跟阖上了,其余的三面都是墙壁,仔细看时,屋角上还有两个人。

阿Q虽然有些忐忑,却并不很苦闷,因为他那土谷祠里的卧室,也并没有比这间屋子更高明。那两个也仿佛是乡下人,渐渐和他兜搭起来了,一个说是举人老爷要追他祖父欠下来的陈租,一个不知道为了什么事。他们问阿Q,阿Q爽利的答道,“因为我想造反。”

他下半天便又被抓出栅栏门去了,到得大堂,上面坐着一个满头剃得精光的老头子。阿Q疑心他是和尚,但看见下面站着一排兵,两旁又站着十几个长衫人物, 也有满头剃得精光像这老头子的,也有将一尺来长的头发披在背后像那假洋鬼子的,都是一脸横肉,怒目而视的看他;他便知道这人一定有些来历,膝关节立刻自然 而然的宽松,便跪了下去了。

“站着说!不要跪!”长衫人物都吆喝说。

阿Q虽然似乎懂得,但总觉得站不住,身不由己的蹲了下去,而且终于趁势改为跪下了。

“奴隶性*!……”长衫人物又鄙夷似的说,但也没有叫他起来。

“你从实招来罢,免得吃苦。我早都知道了。招了可以放你。”那光头的老头子看定了阿Q的脸,沉静的清楚的说。

“招罢!”长衫人物也大声说。

“我本来要……来投……”阿Q胡里胡涂的想了一通,这才断断续续的说。

“那么,为什么不来的呢?”老头子和气的问。

“假洋鬼子不准我!”

“胡说!此刻说,也迟了。现在你的同党在那里?”

“什么?……”

“那一晚打劫赵家的一伙人。”

“他们没有来叫我。他们自己搬走了。”阿Q提起来便愤愤。

“走到那里去了呢?说出来便放你了。”老头子更和气了。

“我不知道,……他们没有来叫我……”

然而老头子使了一个眼色*,阿Q便又被抓进栅栏门里了。他第二次抓出栅栏门,是第二天的上午。

大堂的情形都照旧。上面仍然坐着光头的老头子,阿Q也仍然下了跪。

老头子和气的问道,“你还有什么话说么?”

阿Q一想,没有话,便回答说,“没有。”

于是一个长衫人物拿了一张纸,并一支笔送到阿Q的面前,要将笔塞在他手里。阿Q这时很吃惊,几乎“魂飞魄散”了:因为他的手和笔相关,这回是初次。他正不知怎样拿;那人却又指着一处地方教他画花押。

“我……我……不认得字。”阿Q一把抓住了笔,惶恐而且惭愧的说。

“那么,便宜你,画一个圆圈!”

阿Q要画圆圈了,那手捏着笔却只是抖。于是那人替他将纸铺在地上,阿Q伏下去,使尽了平生的力气画圆圈。他生怕被人笑话,立志要画得圆,但这可恶的笔不但很沉重,并且不听话,刚刚一抖一抖的几乎要合缝,却又向外一耸,画成瓜子模样了。

阿Q正羞愧自己画得不圆,那人却不计较,早已掣了纸笔去,许多人又将他第二次抓进栅栏门。

他第二次进了栅栏,倒也并不十分懊恼。他以为人生天地之间,大约本来有时要抓进抓出,有时要在纸上画圆圈的,惟有圈而不圆,却是他“行状”上的一个污点。但不多时也就释然了,他想:孙子才画得很圆的圆圈呢。于是他睡着了。

然而这一夜,举人老爷反而不能睡:他和把总呕了气了。举人老爷主张第一要追赃,把总主张第一要示众。把总近来很不将举人老爷放在眼里了,拍案打凳的说 道,“惩一儆百!你看,我做革命党还不上二十天,抢案就是十几件,全不破案,我的面子在那里?破了案,你又来迂。不成!这是我管的!”举人老爷窘急了,然 而还坚持,说是倘若不追赃,他便立刻辞了帮办民政的职务。而把总却道,“请便罢!”于是举人老爷在这一夜竟没有睡,但幸第二天倒也没有辞。

阿Q第三次抓出栅栏门的时候,便是举人老爷睡不着的那一夜的明天的上午了。他到了大堂,上面还坐着照例的光头老头子;阿Q也照例的下了跪。

老头子很和气的问道,“你还有什么话么?”

阿Q一想,没有话,便回答说,“没有。”

许多长衫和短衫人物,忽然给他穿上一件洋布的白背心,上面有些黑字。阿Q很气苦:因为这很像是带孝,而带孝是晦气的。然而同时他的两手反缚了,同时又被一直抓出衙门外去了。

阿Q被抬上了一辆没有蓬的车,几个短衣人物也和他同坐在一处。这车立刻走动了,前面是一班背着洋炮的兵们和团丁,两旁是许多张着嘴的看客,后面怎样, 阿Q没有见。但他突然觉到了:这岂不是去杀头么?他一急,两眼发黑,耳朵里〔口皇〕的一声,似乎发昏了。然而他又没有全发昏,有时虽然着急,有时却也泰 然;他意思之间,似乎觉得人生天地间,大约本来有时也未免要杀头的。

他还认得路,于是有些诧异了:怎么不向着法场走呢?他不知道这是在游街,在示众。但即使知道也一样,他不过便以为人生天地间,大约本来有时也未免要游街要示众罢了。

他省悟了,这是绕到法场去的路,这一定是“嚓”的去杀头。他惘惘的向左右看,全跟着马蚁似的人,而在无意中,却在路旁的人丛中发见了一个吴妈。很久 违,伊原来在城里做工了。阿Q忽然很羞愧自己没志气:竟没有唱几句戏。他的思想仿佛旋风似的在脑里一回旋:《小孤孀上坟》欠堂皇,《龙虎斗》里的“悔不 该……”也太乏,还是“手执钢鞭将你打”罢。他同时想手一扬,才记得这两手原来都捆着,于是“手执钢鞭”也不唱了。

“过了二十年又是一个……”阿Q在百忙中,“无师自通”的说出半句从来不说的话。

“好!!!”从人丛里,便发出豺狼的嗥叫一般的声音来。

车子不住的前行,阿Q在喝采声中,轮转眼睛去看吴妈,似乎伊一向并没有见他,却只是出神的看着兵们背上的洋炮。

阿Q于是再看那些喝采的人们。

这刹那中,他的思想又仿佛旋风似的在脑里一回旋了。四年之前,他曾在山脚下遇见一只饿狼,永是不近不远的跟定他,要吃他的肉。他那时吓得几乎要死,幸 而手里有一柄斫柴刀,才得仗这壮了胆,支持到未庄;可是永远记得那狼眼睛,又凶又怯,闪闪的像两颗鬼火,似乎远远的来穿透了他的皮肉。而这回他又看见从来 没有见过的更可怕的眼睛了,又钝又锋利,不但已经咀嚼了他的话,并且还要咀嚼他皮肉以外的东西,永是不近不远的跟他走。

这些眼睛们似乎连成一气,已经在那里咬他的灵魂。

“救命,……”

然而阿Q没有说。他早就两眼发黑,耳朵里嗡的一声,觉得全身仿佛微尘似的迸散了。

至于当时的影响,最大的倒反在举人老爷,因为终于没有追赃,他全家都号啕了。其次是赵府,非特秀才因为上城去报官,被不好的革命党剪了辫子,而且又破费了二十千的赏钱,所以全家也号啕了。从这一天以来,他们便渐渐的都发生了遗老的气味。

至于舆论,在未庄是无异议,自然都说阿Q坏,被枪毙便是他的坏的证据:不坏又何至于被枪毙呢?而城里的舆论却不佳,他们多半不满足,以为枪毙并无杀头这般好看;而且那是怎样的一个可笑的死囚呵,游了那么久的街,竟没有唱一句戏:他们白跟一趟了。

 

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